2013年12月14日

ピアノ熱再燃


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道を歩いていてどこかの窓から

ピアノの練習曲などが聞こえたりすると

つい耳を傾けてしまう。

たどたどしい中から思いが伝わってくる。。。

最近30代の方が独学で弾いていらっしゃる

ブルクミューラーのパストラル(牧歌)を聴いた。

簡単な練習曲なのに美しい魅力ある演奏だった。

素人のピアノが人の心を打つ瞬間だ。

ビター&スイートさんはリハビリを兼ねて

ずっとピアノを弾いていらっしゃる。

その優しく心なごむ音色は私の朝の大いなる慰めだ。

そんなこんなで

またピアノが弾きたくてたまらなくなってきた。

このところ4,5年ピアノを弾いていない。

それどころでは無い事が起こってしまった

(と思っていたから)

19年飼っていた愛猫がお星様になったり

野良猫を何匹か保護し里親探しするハメになったり

何より夫が癌という大病に罹ったり

母親が大手術をしたりで すっかり

レッスンから遠のいてしまった。

恐る恐る久しぶりに鍵盤に触れてみた。

ダメだ〜〜〜〜

まるでダメ。

(当たり前だけど)

ショパンのノクターン9−2をなんとか

まるで始めて譜読みするみたいに弾いた

てか鳴らしてた(笑)

最後の星屑を散らすような部分ときたら

まるで子豚の足踏みだ。

こりゃいかん。

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楽譜もシミになっちゃって〜 o(;△;)o エーン

他にも今まで弾けていた曲が全く弾けなくなっていた。

ショックだった。

ピアノと古布が人生の二つの大きな心の柱だったのに。

古布の手綱は離さなかったがピアノの手綱は

いつのまにか。。。それほど色々あったここ数年。

幸いまだ情熱はくすぶっている。

また一からやり直しだ。

とりあえずはクリスマスキャロルにでも

とりかかろうかな〜♪

。。。。。。。。。。。。。。。。

というわけで「ピアノ独学」カテゴリ作ったので

これから折々ピアノレッスンについても

書いていこうと思います。

「乙女のピアノ独学歴へ」
posted by おとめ at 07:36 | Comment(6) | TrackBack(0) | 楽しみについて

2007年11月03日

英語はビートルズで勉強しました

このところNOVA英会話学校の

スキャンダルがありましたね。

マイアミ在住の主人の甥も大学のキャンパスに

いたところをNOVAの人にスカウトされ

英語教師として来日しました。

でもニュースになる以前に任期を無事終え

帰国したのでほっとしました。

NOVAについては以前からよからぬ噂を

聞いていたので反対していたのです。

このごろつくづく思うのですが、英語英語と

まだ2,3歳のうちから日本語も満足にしゃべれない

幼児にまで英語を教えていますが、それも仕方のない

親心なのでしょうか。

外国語は人によって向き不向きがあって、

好きな子にはOKですが、

語学が嫌いな子供に詰め込むというのはね〜?

お金をぼったくられて、子供はやる気をなくす。。。

こうなっては元も子もありませんね。

お金を使わなくても英語を勉強する方法はありますよね。

そもそも学校での教え方が問題。

英語と英会話の授業を2つに分けると

いいんじゃないかな〜と。。。

以前から思ってきました。

英会話はしゃべる訓練だけを徹底して

楽しく学ばせるよう小学校の時から

義務教育で9年間教えれば十分に

話せるようになる筈です。

お国はJポップの歌詞にまで

英語を入れることを推奨しているらしいのですが。。。

これはどうかな〜?どうりで歌詞にやたら

英語が入るはずで。

せっかくの美しい日本語の歌詞に聞きほれていると、

とつぜん「アイニージュ??」(笑)


。。。。。。


本物のI need youはこれ↑

それに外国語は英語だけではありません。

英語よりフランス語をしゃべった方が

一目置かれる国がたくさんあるし、

アメリカ英語を嫌うところも

少なくないです。

私自身は主人が外国人ですが、

英語圏の出身ではありません。

でも共通言語なので英語でも話をします。

その時発音はお互いの「お国なまり」丸出し

ですがちゃんと通じます。

発音もまた気にし過ぎる方が日本人の場合

多いように感じます。インドなまり、

スペインなまり(主人のはこれ)ドイツなまりなどの

英語がありますが、それでいいのでは

ないでしょうか?

ちなみに私が英語の勉強が好きになったのは

そもそもが60年代にさかのぼりますが、

「The Beatles」

のおかげでした。10代の頃曲を聴きながら

必死で歌詞を目で追い辞書を片手に歌っているうちに

自然にヒアリングの勉強をしていたのですね。

かなり不純な動機でしたが。。。

でも学校の英語の点数はそれなりにあがりました。

そのかわり数学や化学はひどかったけど(^^;

ビートルズを知る以前はちんぷんかんぷんで

英語は大嫌いだったのに。

もっとも彼らの英語はひどい

リバプールなまりだったので、今思うとそれを

そのままマネしていたようです。(^^;)

何もしらずに得意になっていたかと思うと。。。

けっこうというか 穴に入りたいくらい

オハズカシイです、はい。

Jポップの英語の悪口なんか言えませんね(汗)
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2007年09月14日

「乙女なピアノ独学」


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実は私はぴょこぴょこピアノを弾く。

恥ずかしいからブログには今まで書かなかったのだけれど。。。

私がピアノを独学することになった理由は

ずばり「乙女の祈り」と「エリーゼのために」が

弾きたかったから(笑)

昭和20年代生まれの方ならきっとわかると思うけれど

あの時代、この二つのピアノ曲は少女達の憧れだったのだ。

今で言うシロガネーゼのような深窓のご令嬢にぴったりの

乙女チックな曲だ。

戦後の復興もやっと一段落の兆しを見せていたあの頃

西洋風の洋館に住み、白いスピッツを飼って

お紅茶を飲みながらケーキをいただくなどと共に

幼い私の夢のまた夢だった。。。

てなわけで私のピアノ独学歴です〜♪

。。。。。。。。。

そもそもは幼い頃少しだけ習っていたのだが

歌のレッスンに忙しくなってピアノはやめてしまった。

その後小学生になってまたピアノが弾きたくなったが

その頃の我が家は父親の失業で火の車。

一時は一家心中という言葉も母の頭をかすめたらしい。

昭和20年代も終わりの頃のことだ。

子供たちは新築の綺麗な勉強部屋から追い出され

ネズミの這い回る家に住んだ。

当然猫を飼った(笑)

父親の実家は裕福だったのに実質的な援助は無く

廃屋同然の家を貸し与えられたのだった。

このブログにも書いてある少女時代だ。

ピアノを習っている友達に教わりながら

学校の木机の上でよく両手で弾くマネをしたりしていた。

ピアノへの憧れは社会人になっても

私の心の底に長い間くすぶり続けていた。

はるかな年月が経った。。。

結婚し夫と共に働きづめに働いた。

自営業のかたわら、時間があれば派遣社員もやった。

けれどもあれほど望んでいた子供はできなかった。。。

そのせいかどうかわからないが

夫とケンカばかりするようになってしまった。

自分が何の価値も無い人間に思え お酒を飲み

今思うとうつ病の一歩手前ではなかったかと思う。

何か自分を鼓舞する事をしなくてはダメになると思った。

30代もなかばを過ぎた頃だろうか

明治の古い着物のはぎれに出会って感動した。

これが私の道だと思った。すぐに作品作りを始めた。

同じ頃コーラスサークルに入った。

オラトリオを歌ったり区民オペラに出たりした。

その練習時のピアノの伴奏が素晴らしかったのだ。

先生の名前は忘れてしまったがとにかく感動の連続で

次第に歌よりもピアノにひかれていき

胸の奥にくすぶっていたものがチョロチョロ燃え始めた。

「あんな風にピアノが弾けたらなあ」と強く願った。

折りしもその頃二人の友人が40の手習いでピアノを習い始め

私にも「ピアノっていいよ〜」と勧めてくれた。

楽しそうにバイエルを弾く友人達を見て

それなら私も。。。と独学を始めた。

ピアノは無いから紙鍵盤や小さなキーボードで練習していた。

4才の時の記憶をひっぱりだして

始めはお決まりのバイエルから入り、ブルクミュラーと進み

ツェルニーは最初の3ページのみ(笑)ハノンは今でもやる。

簡単な練習曲など見よう見まねでやっているうちに

面白くてたまらなくなってしまった。

その後かの友人達がほどなくレッスンにあきてしまって

一人がピアノを譲ってくれたのだ。

ピアノを格安で手に入れて小躍りした私。

ヤマハの小型アップライトで高音部が透明感があって

とても気に入った。 香港の華僑の所有物だったらしい。

私がピアノを弾いていると猫は耳を平らにして逃げ

夫はさりげなく散歩に出かけた。

そんな無言の迫害をモノともせずレッスンをひたすら続けた。

レッスンには毎日一時間しか時間がとれなかった。

その時私の独学の参考に大いになってくれた本は

アメリカ人のチャールズ・クックという人の

「ピアノの技法」(堀内敬三訳)だ。

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おっそろしいくらい昔に出た本だが

一日一時間のレッスンでピアノはマスターできるという

願っても無い本だった。そのメソッドのおかげで

10年ほどでなんとかショパンの簡単なノクターンなど

弾けるようになった。

しかし50才を過ぎた頃難病を発病した。

どうせ死ぬなら 生きているうちに

ショパンをモノにしてやろう、と思った。

指先がしびれて痛いなどの辛い症状があったが

ピアノを弾くとかえってラクになった。

でも一人のレッスンというのは勘違いが多いし孤独だ。

連弾仲間が無性に欲しかった。

指使いなども不安だったので、近所の先生に

一年半ほど指導を受けた。

そのおかげで憧れだった「雨だれ」や

「トロイメライ」、ドビュッシーの「月の光」

なども曲がりなりにもモノにすることができた。

まあプロが聞いたら聴くに耐えない演奏だろうけれど(笑)

素人はお金を取るわけでは無い分、気が楽だ。

先生はご主人共々ポップス系のミュージシャンなので

ラテン曲の指導などもしてくださって楽しかった。

その後ある偶然から渋谷のカルチャーセンターで

NHKに出演なさっていた斉藤雅弘先生のレッスンも

短い間だが受ける事ができとても感銘を受けた。

ショパンの夜想曲嬰ハ短調を見ていただいた時

出だしの和音。。。あの夜のしじまを思わせる

美しい和音をちょっぴり弾いたとたん突然斉藤先生は

「あなた北島三郎とか好きでしょ?」とおっしゃった(笑)

図星だった。ヘンな演歌風のクセがついているという。

すごい、と思った。

その時生徒さんの中にずっと独学で

ショパンのバラード第一番を弾いている人がいた。

ウオークマンで繰り返しプロのピアニストの演奏を聞き

少しづつマスターしたという。

先生も感心するくらいの演奏だった。

それを見て情熱さえあればピアノは必ず弾けるようになる

という事を再確認した。

幼い頃から習っていればもう中学になる頃は

ショパンの幻想即興曲くらいは軽く弾けるだろう。

けれども往々にして子供が大人の曲を弾くと

指だけがすらすら動いて心は伴わない事も多い。

それはそれでまた可愛らしいことなんだけれども。。。

大人はどんなに簡単な曲でもいい、

自分が余裕をもって弾ける曲を数曲

レパートリーをもつことでお金では買えない宝を

持つことになるのだと思う。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
posted by おとめ at 08:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 楽しみについて