2015年11月17日

死別者の悟り〜エックハルトトールのニューアースを読んで

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今日も人生のどこかで「悲劇」を体験し

限界的な状況にいる人が沢山います。


戦争、災害、あるいは他の理由によって

子供や配偶者を、社会的な地位を、財産を

肉体的能力を、あるいはそのすべてを。。。


こうしたものを失った時、「人はふいに

新しい次元を経験する、何故なら

エゴが崩壊するからだ」と

エックハルトトールは言っています。


「悲劇的な喪失にぶつかったとき、

人は抵抗するか、屈するかしかない。

深い恨みを抱いて苦々しい人生をおくる人

もいれば、優しく賢く愛情深くなる

人もいる。屈するとはあるがままを

受け入れることだ」

(エックハルトトール「ニューアース」より)


そしてこのあるがままを受け入れた人にのみ

悲劇のさなかにあるにもかかわらず

ある種の「平安」ーそれをトールは

「神の平安」と呼んでいますがーを

経験することができる、と書いています。


たとえば愛する人の死を経験した者は

人にもよりますが、死別の苦しみによって

ある霊的な気づきをもらえます。


最初にもらえるのは本当の幸せへの気づきです。

富でも名声でも無く、ただただ毎日の

淡々とした暮らしの幸せ、それが

すぐ近くにあった事に否応なく気づかされます。


死別体験が無い人でも気づく人はいますが、

ほとんどの人は気づかずにいます。


死別でそれをつくづく実感できるのです。

拷問と思えるほどに。。。


ある人達はその気づきが苦痛になり

死とまともに向き合うことなく、Uターンして

辛さを酒やモノや出来事でまぎらわすでしょう。


もっとひどくなると後悔や自責の念から

永遠の嘆きの渦中に入ってしまいます。

エゴに無意識にからみとられ、傷ましい

被害者意識の中でずっと生きるでしょう。


あるいは誰かが何とかしてくれるだろうと

精神科へ行ったり、カウンセリングを

受けたりする人もいる事でしょう。


ミディアムシップを受けるのもその一つです。

私もそんな気持ちでミディアムシップを受けました。


確かに大変慰めになってくれるのは確かです。

しかしそれだけでは死別の苦しみは

「完全には」無くなりませんし、エビデンスが

もらえなければかえって落胆するかも知れません。


どんなにミディアムさんの梯子をしても

どんなに良いミディアムさんであっても

そのセッションの間は慰めは得られるでしょうが、

根本的な悲しみは多分そのままだと思います。


何故なら人間は「自分以外の人」や「ものごと」で

自分の中のどんな苦しみも解決できないからです。


けれども私を助けてくれた有能なミディアムさんの

名誉にかけて言わせていただければ、死別

することによる、身も世もない状態、ヘタすれば

後を追いかねない、そんな時にセッションが

どれほど力になるかは計り知れません。


私は夫と死別してからかれこれ一年以上たって

もう一切「幸せ」を追い求めるのはやめました。


というより幸せを求める気持ちが無くなったのです。

するとそのとたんある日自分の心が平安になって

いることにふと気づいて驚いたのでした。


幸せを追い求めるといつまでも見つかりません。

悟りを追い求めるといつまでも悟れません。


何故ならこの二つは「探す」ものではないからです。

すぐそばにあるものなのです。


たとえば、スピリチュアルなワークショップに

あちこち行っても、「パワースポット」なる

神社巡りをしても、それが「私が」「何かを得たい」

というエゴからの行動であるという事を

「本当の自分」「永遠の自分」が気づいて

いなければ財布が軽くなるだけでしょう。


死別を経験していなくてもちょっと気づき

のある人達がいる、と書きましたが

彼らはもっと懸命で日々の暮らしに満足し

「お金」や「モノ」では本当の幸せは得られず

「健康」が一番ね、と言ったりします。


けれども私に言わせるとそれも違うのです。


本当の救済は「健康でなくても」

幸せでいることです。どんなことが起きても

「死別」をしても心が安らいでいることです。


それが本当の「気づき」であり、たとえ万が一

幸せではなくても「安らぎ」は得られます。


そして私は「幸せ」よりも「安らぎ」がずっと好きです。


どんな状態でも受け入れること、それを

私は自分の難病を知った時に学んだ筈

だったのですが、さすがに愛する人との別離は

それとは比べ物にならない苦しみでした。


病気もペットロスも愛する人達との別れも

主人がいたからこそ乗り越えてこられたのだと

分かった時は愕然としました。


その上もう私には「未来」は残り少なくなってます。

そう遠くない将来、一人で死ななければなりません。

そう思った時私は果てしない暗闇へと落ちました。


外へ出るとすべての人間がグレーに見えました。

通りをやっと歩いていました。

人との会話は普通にできていたと思います。


最近ひょんなことで知ることになった

元修道女で主婦のバーナデット・ロバーツ

の著作を読み、彼女が書いているような

「自己の喪失」を経験しました。


まさに自分というものが消えたのです。


私は幼い頃から亡くなった祖父や「神様」と

ずっと一緒にいると信じて育ってきました。


子供時代の遊び場は江戸川の市川よりにある

「真間の手児奈堂」という万葉集に出てくる

古い古い神社でした。あのあたりは眞間山や

里見城の跡や、霊的な場所に満ちていました。


対岸の江戸川べりの野原では毎日のように

柔らかな自然と宇宙に思いを馳せました。


結婚して夫と共に仕事や生活に追われ

そういう霊的な感性は少なくなったとはいえ

いつも、どこにいても神様を感じていました。


キリスト教でも神道でも無い、何かわからない

永遠の絶対の存在、それが私の神様でした。


それが一挙にすべて無くなってしまったのです。

自分というものの存在感と共に。。。


ロバーツは「無我の体験」という著書の中で

この「自己喪失」は誰でも「加齢」によって

自然にそれを体験する、と言い、隣人の

老婆の経験について書いています。

それがこの著書の一種の「オチ」になっています。


私の経験を言えば日常生活も困難になりました。

買い物をしても帰ってくると品物がありません。

冷蔵庫に入っている筈のものが無いのです。


ロバーツは冷蔵庫にスリッパを発見しました(笑)

私も同じようなものでした。


しょっちゅう何かをどこかへ置き忘れました。

食事をしても自分が食べている実感は無く。。。

そんな状態が半年以上も続いたでしょうか。


そのうちに突然ドキドキして死の恐怖が迫り

銀行で倒れてすぐ入院となってしまいましたが

治療の途中でやっと自分を取り戻しました。


その後病院のベッドで全く何もせず、

何年も続いた介護や不安や食事療法などの

おびえに満ちた地獄の慌ただしさもなく私は

こんこんと眠り、次第に安らいでいきました。


そしてただただ私は悲しみだけを味わいました。


安らぎへのその近道は苦しみから逃げず

さらに「死」を見つめて、味わいつくし

深い悲しみと絶望の真っただ中へ

真っ逆さまに身を投じていく事

そのことによってしか得られません。


私とほぼ同年代のスピリチュアリストである

エックハルトトールは「あなたはとことん

苦しまなければ苦しみから脱却できない」

と言っています。これは真実です。




トールは書いています:


「昔から個人の人生(生命)に霊的な次元が

開かれるのは、まさに老いや喪失や個人的な

悲劇を通してだった」


「死別」のような個人的な悲劇などにより

外的な目的(幸せになりたいなどの)が崩壊し、

エゴの殻にひびが入り始めたときだけ。。。」

それによって「目覚め」や「悟り」が生まれる

と言っています。



トールは私と同じベビーブーマー、

日本で言えば嫌われ者の「団塊の世代」ですが

その考え方も私には本当に共感することが多いです。


私は十代の終わり頃、自意識過剰で

エゴの塊でした。そしてよせばいいのに

「禅」にハマったことがありました。


眉間にシワをよせ鈴木大拙を読んだりしていました。

トールも禅に影響を受けています。


けれど禅で私が得たのは聡明なトールとは違い

ただの「虚無感」だけでした。


仏教で「悪取空」と言われるたちの悪い状態です。

ひどい目に遭いました。それ以来「禅」には

あまり近寄らないようにしてます。(笑)


私にはどうしても「永遠・絶対の存在」のような

大きなものが必要でした。仏陀は「神」や「魂」

についてはっきりとは語っていません。


それなら何故「輪廻」があるのか、には今の

そこら辺の若いお坊さんには答えられないでしょう。


私がトールを好きなのはその考え方に

私自身が経験をした事を多く発見したからなの

ですが、それだけでなくある不思議な一致を

著書の中に見つけてしまったからなのです。


人によっては受け入れられない話になので

適当にスルーしていただきたい事なのですが、

それは私が若い頃に今でいうUFOのような

大きな光のようなものを見て、その後、ある

「啓示」のような言葉をもらい、それを日記に

書いたことがあることから始まります。


1960年代も終わり頃のことです。

笑われるのを覚悟で書くと、それは:

「信ずるべきものは宗教ではなく神である。すべての

微生物、川の魚の卵は宇宙の星雲と同じものだ」


という文章にもならない幼稚なものでした。


でも、それとそっくりな言葉をトールの著作

「ニューアース」の中に最近発見したのです:

「存在するすべては微生物から人間、銀河

にいたるまで、本当は個別の存在ではなくて

からみあった多次元のプロセスという網の目の

一部なんですよ。。。」


トールの優雅な文体と比べて稚拙な私のコトバが

大変恥ずかしいのですが、何と言ってることは

全く同じ。これを読んで仰天して以来

トールのファンとなってしまったのです(笑)


「もうたくさんだ!これ以上の苦しみは」

と思うまで苦しんだ時、その時に「あなた」

(我=エゴ)という存在は目の前から消え、

ただ事実だけがそこにあることに気づきます。


その時あなたが自分だと思い込んでいた

物質的な自我は消え、「永遠の意識」そのものの

本当の自分に目覚めるのです。


これは「悟り」を求めてあらゆる宗教や

修行や苦行で四苦八苦して、喉から手がでるほど

それがほしい者たちの中にあって、死別者だけが

何の努力もせず、ただここにあるだけで

手に入れられる特権なのかも知れません。


もちろんその特権にまったく気づかない

大勢の人たちがいるのも本当ですが。


それに気づいたあなたはその苦しみが

どこから来るかを今やっとわかったのです。


すると今まで思考からくるエゴによって

「死別」という事実に余計な苦しみを

これもあれもと付け加えていたことは無くなり

ただその悲しみ、苦しみを味わい尽くします。


その時にあなたは地獄の苦しみの末に

死別からの本当の気づきというものを

受け取ることができるでしょう。


それ以降どんなに悲しみや

苦しみの余波が襲ってこようとも。。。


あなたはそれを少なくとも平静に

受け止めることができるでしょう。


思考から生まれるエゴは絶え間なく「私は」

という一人称で、あなたを幸せだった過去や

不安な未来へと容赦なく連れて行きます。


けれどもそれがエゴのしわざとわかった時

あなたは次第にエゴの息の根を止めていき

そして心は平安というものを見つけるでしょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お読み下さってありがとうございます。

アクセスがだいぶ増えてきました。(^^;


ランキングから抜けて密かに書きたかった

とは言え、反響があるのは感謝しなくては。。。と

やっと思うようになれました。


これからも思った事、気づいた事を書いていきます。

引き続き宜しくお願いします。

posted by おとめ at 19:32 | Comment(2) | TrackBack(0) | 読んだ本の感想

2014年11月01日

知りたい

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10月に読んだ本いろいろです。
シュタイナーがほとんどだけどそろそろ食傷気味(^^;
あとはクリシュナムルティはじめました。


主人が亡くなって200日以上がたった。

号泣の儀式は毎日欠かさず行っている(笑)

もう涙腺がどうにかなっているかも知れない。


明け方の3時に目が覚めて、眠れなくなると本を読む。

なるべく退屈で難しいシュタイナーをww


そうすればそのうちに眠れるから。

へんな睡眠薬や安定剤などよりよほど良い。

三日間つづけて同じページで寝てしまったことも(笑)


悲しみを乗り越えようとは思わない。

自分が楽になろうとも思わない。


主人がした苦しみを思ったら

自分が癒されようなんてこれっぽちも思わないし

自分の幸せなんてちっとも望まない。


「ヒーリング」「癒し」「今ここ」

全部私には何の意味も無い。


ましてポジティヴシンキングなんて。

無理にポジテイヴになることの弊害は計り知れない。


なすがまま。

あるがまま。。。


亡くなった〇〇の分まで長生きしたい

なんていう人も信じられない。


悲しいものは悲しい。。。

この気持ちを誰かにわかってもらおうとも思わない。

本当のところはわかってもらえる筈が無いし

家族にもわからないだろう。


けれども優しい言葉をかけてくれる人達には

感謝で一杯だ。


慰める事がどんなに難しいことなのかは

私もずっと以前に経験済みだから。。。


私の為に時間をくれてありがとう。

わかってくれなくてもいいんだよ。

みんな優しい言葉をたくさんありがとう!


ただ私は知りたい。

知りたくてたまらない。


あなたがどこに居るのか

今どうしているのか。


どうやったらまた会えるのか。

亡くなったあなたの魂の幸せの為に

私は今どうするべきなのか。


知ろうとすることだけで生きている。

そして今日も本を読むことしかできないでいる。

そういえば。。。


あなたが亡くなった桜の季節から

今はもう読書の秋になったんだね。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日もお読みいただきありがとうございますm(__)m


posted by おとめ at 20:20 | Comment(22) | TrackBack(0) | 読んだ本の感想

2014年10月31日

諸刃の剣

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10月に図書館で借りた本


読んでも読んでも興味は尽きる事が無く

この世にある書物は無限だ。


その中からこれだ!と思うのを見つけるのは

本当にむずかしい。


特に欧米発の啓発本やスピ本などはかなりアブナイと思う。

チャネリングとかチベットに行ったとか天使とか。。。

とにかくお手軽で、すぐに癒してくれようとする。


金髪で青い目で羽のはえた天使のイメージで

スピ・ビジネスをしている人も多い。

(何故金髪なのか?ギモンで仕方がない)


人気のあるドリーン・バーチューもそうだ。

この人、かなり商売人だと思う。

ミディアムとしては本物かも知れないけれど

セッション受けた事は無いので。。。(笑)


この人のコースで勉強するといわゆるミディアムとしての

「資格」が認定されるらしい。

だけどミディアムってそんなに手軽なものなの?

ウッソ〜〜〜って感じ。


同じ商売人でもアリソンデュボアやヴァン・プラグなどは

もっと好感がもてるけれど。

最初は全くお金をとらなかったというゴードン・スミスは

もっとずっと好きだけれど。


でも、なんで、よりによってみんながみんなの守護例が

古代インディアンとかうさんくさい中国人のおっさんなの?

理由を知っている方がいたら教えてほしいのですが。


アメリカ発のものでいわゆる「引き寄せ」というのがある。

あれは唯物主義のなにものでもないんじゃない?


それを霊魂とかスピリットと一緒にするからにくらしい。


宇宙さんにお願いしてなんでも好きなものがもらえる

なんていう本が図書館で予約一杯なので

読んでみたらトンデモ本だった。


もうちょっとではまりそうになった「奇跡のコース」

これもかなりウサンクサイと感じるようになった。

目が覚めた。

くわばら、くわばら。


その意味でシュタイナーもかなり読み込んできて

どうやら諸刃の剣らしいことがわかってきた。


たとえばシュタイナーは「批判すること」を禁じているが

批判精神なしに本を濫読するのはとても危険だ。

人間関係を潤滑にするには特効薬だけれど。


またけっこう人種差別的なところもあるのよね。

シュタイナーさんて。


というわけであっちこっちつまずき歩く私でした〜

。。。。。。。。。。。。。。。。

今日もお読みいただきありがとうございます。m(__)m


posted by おとめ at 14:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだ本の感想

2014年10月13日

死なんてない、一つがすべて

雲黒斎「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」

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60年代に大ヒットした医師ものドラマがあった。

「ベン・ケーシー!」というかっこいい英語の声と共に

病院の廊下をストレッチャーが全速で走っていく。

ベンケーシーの濃い顔が覗き込む。。。場面が変わって

鉄腕アトムに出てくる御茶ノ水博士が

三日くらい断食したみたいな風貌の

ゾーバー先生の手で黒板に記号が描かれる。。。


♂ 男



♀ 女



* オネエ。。。じゃない、誕生



+ 死



∞ 永遠




あの印象的なシーンを覚えている方は

多分そろそろコーレイシャと呼ばれる年頃だろう。

「交霊者」じゃないよ(笑)


主人公ベンケーシーの美形にうちの母親はうっとりしていた。

顔にポンズのコールドクリームを塗りながら。


中学生だった私は最後の ∞ (永遠)がとても気になった。

そして半世紀後の今も気になっている。


最近そんな私に大いなるヒントをくれる本に出会った。

「もっとあの世に聞いた、この世の仕組み」

始めに刊行された「あの世に聞いた、この世の仕組み」の

続編本だが、私にはこちらの方がダントツに面白かった。


雲黒斎(ウンコクサイ)というかぐわしいペンネームの作者は

多分私の半分くらいのお年だと思うが、かつてはうつ病で

かなり苦労されたらしい。


その後守護霊の雲さんが著者である黒斎さんに乗り移って

真実を語りだしたのだという。


眉にツバをつけながら「どれどれ。。。」と読んでみると。。。


もう、あーた!

これがぐいぐい引き込まれてあっという間に終わり。

独特のユーモアセンスがあって読みやすいのだが

書いてあることは深遠きわまりなく、何度も読み返した。


何回読んでもスルメを噛んでるみたいに味わい深い。

「死は存在しない」「僕たちは死なない」というか「死ねない」

「一人一人の命が存在するというのは幻想で、命とは

ただ一つのものであり、人はみなその一つの命を共有している。」

というのが本全体の大きなテーマだ。


生命とは「生まれる」のではなく「元からあるもの」

「生まれるのではないから死ぬ事もない」というワケ。

これを図に描いたものが載っている↓

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図1
一つの全体的な「命」(または「意識」「神」と言ってもいい)を

大きな風船になぞらえてわかりやすく説明している。


この風船は非常に丈夫で割れる事がない

それをつまんで中から空気をいれると

小さなふくらみができる、これがいわゆる「誕生」だ。


つまみたての赤ちゃんはまだ大きな風船の記憶を持っている。

だから新しい意識が誕生したわけではなく意識は元の

大きな風船の意識が入っている。(図1)


このふくらみがたくさんできると人口の増加となる。

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図2


しかしこのつまみを捻ると元の意識や記憶からは閉ざされる。

そして自分だけの意識をもつようになる。(図2)

生後の学習や経験で捻れがどんどん強くなる。

それが「自我」だ。捻れの状態は「カルマ」と呼ばれる。


「カルマ」については今は難しすぎるので詳しく書けないが

大風船の中に入っていた神の記憶のデータから

分離されて、個々人としての意識を持ってしまうことらしい。


この捻れを元に戻す事が「カルマの解消」つまり

俗に言う「さとり」で、自我が無くなり

大風船(神)の意識と一つになることだ。


そして死とはこのふくらみがしぼんで再び大風船に吸収され

元の風船内の空気と合体することらしい。(図3)


そしてこのとき個人のもっていた記憶やデータは

そのまま大風船に吸収され、蓄積される。

それをシュタイナー風に言うと「アカシックレコード」と呼ぶ。


ただふくらみが無くなっただけで

元の風船自体は存在し続けるから

「死」はありえない。とこうなる。

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図3

それが「般若心経」でいうところの「不生不滅」だという。


ここまで読んで「まてよ?」とひらめいた。

この理論何かにそっくりだったのだ。


そうだ!今必死に取り組んでいる

「奇跡のコース」そのものじゃないか。


あのブロック塀のブロックを引っぺがしたような

恐ろしく分厚い教則本。アマゾンでも売っている。

おまけに三冊組ものとなっている。

読者をして百科事典のセールスマンになった気にさせる本。


シュタイナーの全著作の読破というそら恐ろしい計画と共に

私は今何とかこれをモノにしようとあがいているのだ。


別にカテゴリを組んでブログでも書いていこうと思っている。


「この世のすべては幻想」(あーたも私も机も椅子も

大好きなイクラのお寿司も、きのこの山もすっぱムーチョも。。。)

「自我を捨て精霊(神)と一体になる」

「エゴ(つまり自我)を捨てる」などなど。。。


のっけからちんぷんかんぷんだった「奇跡のコース」

その意味がなんとなく雲黒斎さんのおかげで

うっすらとだがわかってきた。


だがあれは「仏教」では無く「キリストの言葉」だった筈だ。

宗教なんかでは決して無いけれども。。。


そうか!真実はつながっていたのだ。


いいぞ、いいぞ幸先いいぞ!

すべてはつながっているのだ。


風船捻っただけだから、そのうち私もしぼんで

風船の中で待ってる夫に会えるのだ。


あなたも私も、彼も彼女も

元は一つの大風船の中にいたのだ。


この捻れを解消する事、つまり

自我をなんとかして取り除く事で

この世の人の心の壁(わかりあえないという状態)

が取り除かれ、生き易くなる、と黒斎さんは言う。


それはつまり奇跡のコースでいうところの「分離の消失」

または「ワンネス」とも言うそうだ。

風船の中の意識とつながることだ。


そしてそれが広がっていく事で社会システムも変わり

より愛に満ちたものになるという。

それがLTE。。。Love(愛)、Thanks(感謝)、Enjoy(楽しむ)

の時代で、これについてはあとで書こうと思っているけれど

素晴らしいことには間違いない。


自我を取り除くには恐れ、不満、不安、不信感、怒り

傲慢、罪悪感、劣等感、差別、軽蔑を手放せばいいそうだ。


これはシュタイナーが霊能力を開発するための著書

「いかにして高次の世界を認識するか」の中で

同じような事を述べている。


シュタイナー風に言うと怒りや不機嫌のほかに、臆病な心、迷信

偏見、虚栄心、名誉欲、好奇心、無駄なおしゃべり、性差別など

これらを取り除く事によって、すべての人が本来もっている

霊的能力を目覚めさせる事ができるという。


と言っても一筋縄にはいかないよね、こんなこと。


でも何だかウンコクサイさんの追っかけになっちゃった。

ブログにいりびたっている。

フンコロガシになりそうな自分が怖い〜

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日もお読みいただきありがとうございます。m(_)m



posted by おとめ at 11:12 | Comment(2) | TrackBack(0) | 読んだ本の感想

2008年01月06日

お正月早々泣きました

猫くるみは絶好調ですが。。。。。
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お正月だというのに号泣。。。。。

それというのも沼田まほかるさんの「猫鳴り」のせい。

身につまされるってこのことだったのね。

昨年19年飼っていた猫が亡くなったせいもあり、

やっとペットロスからぬけだせるかな?の瀬戸際でもあり、

自分自身がこれから先、加速度的に老いていく身であり、

それなのにまた性懲りも無く子猫をひきとったせいもあり、

猫も人間も無常の身であることをあらためて意識させられたのでした。

猫が人間に対して「死に方を教える」そのすごさ、すばらしさ。

猫を飼う本当の意味がわかりました。

最後の方で「猫鳴り」という言葉の意味もわかってくる、

その構成力、筆力の偉大さ。

ある場面ではハリーとトント風。でももっとリアル。

猫を愛し、猫を飼っていらっしゃる方ならきっといちいち

うなずいてしまうだろうし、きっと。。。泣きます。

嬉し泣き?かも:
posted by おとめ at 12:27 | 読んだ本の感想