2017年04月15日

三年目

CIMG7722.JPG

三年目の命日〜

愛用していたカップに質素な花を活け

今年もオルゴールを鳴らした。


さてこれから何かが始まるようだけど

何かは私にもはっきりわからない。


ただ書いていきたいという思いだけ

今起こっている。これまではほんの小手調べ

この機会に深く感謝。。。。。


三年間の悲しみは私から何かを取り去った。

そのおかげで人の目が気にならなくなり

仕事への情熱や、何かを成し遂げようとする心や

何か希望を持つことや、期待すること。

すべてが無くなっている。


一見ゼツボー的な状態のようで、自分のどこかも

ゼツボー的だと言っているのだが、なんだか

毎日楽しくてたまらない、という変な状態。


すごくラクで嬉しくて楽しくて。からっぽで。


ただただ大いなる存在が私やすべてを動かし

何も分析せず、批判せず、あるがまま。


さて命日。。。。。

悲しみをちょっとのぞいただけで

人はそこから逃げ出そうとする。

人の悲しみであれ、自分のであれ。

だって苦しいもんね、無理もない。


悲しみ。。。それは底なし沼

出ようともがくほど深みにはまる。


でももがかず、そこに飛び込み

悲しみとただただ一つになり

思い切り悲しみ嘆かなくてはならないんだ。

それこそが生まれてきた理由。

気丈にふるまう必要などないし。


ただし、悲しみの成分を思い知らないと。

それはあなたが見たくないもので一杯。


「寂しいから」「一人にされたから」

「生活できないから」「優しかった(私に)」

「つまらない私を何かにしてくれた」

「私の孤独を慰めてくれた」「料理してくれた」

「いつもどこかへ連れて行ってくれた」

「あの子は私の唯一の希望だった」などなどあるけど

そこにある「自分」「我」という成分が

人は誰でも見たくないもの。


そして「何もしてやれなかった」これさえもだ。

何故なら何もしてやれなかった「自分」だから。

それを正当化する心がどこかにあるからだ。


すべて「自分」でできている。

でもだからって自分を責めたりしない。

ただ勇気を出して見つめる、それだけ。

何も考えずただ悲しむだけ。


それは時として残酷でとても辛い作業。

でも見つめなければあなたは救われない。


それは「愛」ではなかった。

涙を流しながらとことん気づく。


あなたの悲しみはあなただけの宝物。

あなたと亡くなった人は一つなんだ。


ぎりぎりまで悲しんだあなたは

そのうちにエネルギーで一杯になる。

そして本当の愛を知ることになる。


どこへも行っていない。行きようがない。

だって元々一つなんだから。


どこにも行っていない。今ここにいる。

あなたは私であり、すべて。。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。



たくさんのアクセスありがとうございます。

読んで下さり感謝で一杯です。

posted by おとめ at 11:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 悲しみについて
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