2014年06月22日

あとからあとから窓ガラスをつたって落ちる雨

それをあきずに眺める空太

P1000041.JPG

「ねえ〜これって毎日ママの顔を流れてるもんと同じだよね」



よくもまあ涙って枯れないもんだ。


夫が入院していた時は

病院ではニコニコして

家に入ったとたん思い切り泣いた。

退院して家にいる時はトイレや風呂場で

こそこそと泣いた。


亡くなってから友人や家族がそばにいると

泣くのを我慢するのは辛かった。

一人になりたくないのに

一人になって思い切り泣きたかった。


そういえば猫の涙って見たことがない。

目の具合が悪くて涙や目ヤニがでることはあるが

猫が悲しくてしくしく泣いていたらびっくりするだろう。

犬は悲しいとき悲しそうな声で鳴くが

猫が悲しんでいる時はただうずくまって

じっとしているだけかも知れない。

そんな風に 猫みたいにただじっと

悲しみに浸れたらどんなにいいだろう。


その意味で涙って人間だけの特権かも。

あるいは悲しみに涙を流す動物もいるのかもしれない。

私が知らないだけかもしれない。


知っているのはただ

涙は心のシャワーだということだけ。

泣いたあとはとてもさっぱりする。

悲しみがほんの少しだけ軽くなる気がする。

たとえ束の間であっても。


「いつまでも泣いてちゃいけませんよ」

「成仏できませんよ」

と言う人がいる。

長年の伴侶や我が子の死や

心から愛した人が亡くなってしまい

どうにもこうにももう会えないという絶望

生きながら八つ裂きにされるような

そんな経験の無い幸せな人の言葉だ。


でも泣いたあとはいつも主人にあやまってしまう。

「また泣いちゃった、ごめんね」


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日もお読みいただきありがとうございます。m(__)m



posted by おとめ at 10:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | 悲しみについて
この記事へのコメント
姉ちゃん様、ご体調は大丈夫でしょうか。
姉ちゃんも色々ご苦労がおありなので何の役にもたたず申し訳ない気持ちで一杯です。

うちの母も父が亡くなったときは泣きませんでした。荼毘にふされる時にそばでわ〜わ〜泣いている私に「もう、いいでしょ」と言ってました。

でも一人になってずいぶん泣いていたようです。気の強い人って人に涙を見せたくないのかも知れません。私も今は少し似てきたようです。

そうですね。。。やはり素直に泣いてあげれば良いのだと思います。それで自分が癒されて立ち直りが早くなるのならその方が結局は亡くなった人も安心するのかと。。。勝手にそう思ってます。
Posted by おとめ at 2014年06月24日 19:05
ちょっと体調を崩していたのでコメントが遅れました。
うちの母は、若いころから苦労を掛けられて残されて、と
今も、怒りや文句が多くて悲しみが少ないのか、
父が亡くなって泣いてるのをほとんど見たことがないんです。
なのでか、私は逆に、「いつまでも泣いていたらダメ」とか、
「成仏できない」というのとは逆に。あまりに泣いてもらえないと
寂しいのではないかと思ったことも. . .
泣いてくれるほど本当に悲しんてくれる誰かがいるというのは、
とても幸せなんではないかと感じます。
もちろん、ご主人からしたら心配もするでしょうけれど、
やっぱりこんなに思ってくれているのだというのは. . . 幸せな方だと思います。
Posted by めんまねえちゃん at 2014年06月23日 19:57
夢見様

いつもありがとうございます。

そうですね。。。最後まで主人を介護できたのは良かったと思います。がんの末期を経験した方にはわかっていただけると思いますが言葉にならないくらい壮絶でした。主人には私しかいませんでしたし、私には主人しかいませんでした。私一人ですべてやるしかありませんでした。倒れずになんとかできてよかったと思います。

私も難病ですので主人はそれも心配していました。せめて私だけでも健康だったらそこまで心配させることはなかったのに、と主人が哀れでたまりません。心残りだったろうと思います。

これで子供がいたら全く違っていたと思います。こんな風に自分も死にたいとまでは思わなかったかもしれません。

抗がん剤で延命はしましたが、五年間ずっと苦しい、苦しい、の連続だっただけでした。今思い出しても、主人がかわいそうで、かわいそうで、たまらなくなるのです。時と共に苦しみが逆に増していく感じがします。

お母様の介護が思ったように出来なかったのですね。けれどもお母様は今は安らかに苦痛から解放されていらっしゃいます。姉妹仲良くされるのが一番のご供養ではないのでしょうか。

今はゆとりがなくてうまく書けません。どうかお許し下さい。
Posted by おとめ at 2014年06月22日 21:51
涙が出るのは、精一杯お世話ができたからだと思います。出ないときは、心から尽くせなかったとき…。
いろんな言い訳をして、辛い状況を逃避していた私は、2年ほど母の遺影も見ることができませんでした。
母の死さえ、考えないようにしていて、まだ入院しているんだと思うようにしていました。
3回忌近くなって、ようやく遺影を飾ることができるようになりました。
母はほとんどずっと暮らしていて、一番可愛がってくれたというのに。働いているから家で介護ができないと言い訳して、家に帰りたいという母の願いを叶えてあげることができませんでした。姉妹が仲良くしていれば、協力もできたでしょうが、皆疲れて喧嘩ばかり。姉妹を仲違いさせたのは自分が悪いのだと私に謝っていた母。最愛の母だったのに、最期のお別れができませんでした。今でも悔やまれて仕方がありません。
乙女さんが羨ましいです。

やり直せるならば、もう一度、母に会って謝りたいです。
本当に強くなければならない時に、逃げてしまった。
精神的に弱いなと己を知りました。

親と配偶者では悲しみの質が違うでしょうが、最愛の家族を失うという点では同じと思います。
いくら尽くしても後悔はあるでしょうが、最期まで側にいることができたこと、お幸せだったのではないかと思います。
親戚も数年前、連れ合いをガンで亡くしましたが、付き添いしていたにもかかわらず、明け方寝ていて名前を呼ばれたにもかかわらず、「はーい」と生返事して起きなかったら、それが最期だったそうです。あの時、なぜ起きて側にいかなかったのか、ずっと後悔しています。
最期に最愛の人に、側で看取られるということはどんなに幸せなことでしょう!!
ご主人はとてもお幸せだったと思います。

Posted by 夢見 at 2014年06月22日 19:25
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