2017年05月13日

スピリチュアリズムと霊媒主義

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SNUから送られてきた会員用資料。内容はあまり無い


引っ越し以来大きな変化が起こった。


私のブログやあるいは他の人のブログにも

あるかも知れないけどミディアムシップを受けて、

何がしかの不思議な感銘を受け、それからクラスや

ワークショップへ行き、自分もミディアムやヒーラー

になろうと勉強をする方が増えている。


私自身もあちこち行ってそうした勉強をしたのはすでに

書いた。今思うとそうした活動を行う事で悲しみから

逃れようというその一念があったと思う。


けれども母の死後、導きによって田舎へ引っ越して

8か月がたち、そうした活動が一切できなくなり、

悲しみとじかに向き合っていく中で

自分の中で大きな転換があった。


それは色んな活動をしていた頃よりずっと悲しみが減った

という事実だ。いえ、ほとんど回復したと言える。

それはスピリチュアリズムのおかげではなかった。

残念ながら。


私が若い頃からずっと勉強してきた「禅」や「非二元」

といった物をふたたび勉強していく中で得たものだった。

やはり「あるがまま」という考えに救われたのだと思う。


どんな活動で自分を忙しくしても、悲しみと真剣勝負で向き合い

とことん悲しまなければ悲しみは消えない、ということだった。


そこであらためて私があれほどはまっていた「スピリチュアリズム」

について考えて見た。あくまでも私の場合なので、他の人には

まったくあてはまらないことかも知れない。


確かに不思議なことは起こるし、それで「魂はある」

と思って救われる事も多々あったかも知れない。けれども

そうした現象は今の私たちが生きているこの世界と同様

あくまでも「幻想=現象」の世界なのだ。


瞑想を続ければ誰でも幻覚を見るし、音が聞こえたりもする。

スピリチュアリズムの瞑想を続けて行くといろんな物が見える。

「指導霊?」に会ったり、アドバイスをもらったり。。。

禅ではそうしたものは「魔境」といって一切しりぞける。

そこにはいつも「自分」がいるからだ。

だからいくら霊的能力が増しても幸せにはなれない。


「自分が」見た。「自分が」霊視をした。「自分が」浄化された。

そして(私の場合だけど)どんどんエゴがふくらんでいく。

スピリチュアリズムの勉強をつづけて、自分のエゴが巨大に

なっていくことに気付いてびっくりしたのだった。


「自分を」「浄化してエゴをなくそう」というのも大きなエゴなのだ。

何故なら「きれいな自分になりたい」というエゴだからだ。


「エゴ=自分」は「今」が嫌いだ。常に過去や未来を見ている。

そして今の状態では無い、他の状態へと動きたがる。


人は物事をそのままにしておくことができない。

私は大きくなったエゴでふたたび苦しんだのだった。


でもミディアムシップやヒーリングが好きで好きで

それだけで勉強するなら良いと思う。


趣味で手品や占いを勉強するのと全く同じだから。

私は引っ越し後もしばらく一つのクラスだけ行って

遊んでいた。「遊び」とやっと割り切ることができた。


あてっこゲームが単純に楽しかったからかも知れない。

今はもうやめている。お金が続かないから(笑)


けれども私は今ある「危惧」を感じている。

それは勉強やワークショップに行くことで

「悲しみから救われよう」としたり、苦しさから

逃れようと、自分の人生を賭けてしまったりすること。


すべてがビジネスなのだ。そこに気付いてからでも

全く遅くない。それに今の「スピリチュアリズム」

と呼ばれているものは本物のスピリチュアリズムとは

全く別物かも知れないからだ。この場合に限り

「無知」は敵だと言っておこう。


今いわゆるスピリチュアリズムと呼ばれているもの

その歴史はたかだか170年だ。

その発足もそれは「ハイズヴィル事件」というどこか

いかがわしさに満ちたもので、疑問点が沢山ある。


広めていった科学者達も自分の愛人を霊に見せかけ

インチキ写真をとったりメチャクチャだ。

私が信頼しているのはパイパー婦人だけかな。

それも真偽のほどは今となってはわからない。

それほど曖昧模糊とした「学問」ではある。


それは真のスピリチュアリズムとは全く「別物」と

私は思っており、今みんながそう呼んでいるのは

「霊媒主義」と呼んだ方がふさわしいように思う。


真のスピリチュアリズムについては今必死に研究中で

まだ詳しいことは書けないけれども、それは17世紀の

西洋哲学にまでさかのぼる。生きてるうちに理解できるか

それすらもわからない。それほどのものなのだ。

でも私は魂=聖なるモナドというものを全く否定はしない。


今さかんにワークショップなどが行われていたり

TVで〇〇〇の泉とかに出ていた有名霊媒が

(そのおかげで御殿を建てたらしいが)、その沢山の

著書に書いているようなスピリチュアリズムの

元を作ったのはイギリスの霊媒学校だ。


学校は色々あるが現在有名なのはAFC(SNU)

という学校で、昔の大金持ちが出資して作られた。

そこから世界へ「霊媒=ミディアム」達を大量に

生産・送り出している。

設立当時はかなり良心的だったらしい。


そこに私はついおととしの秋のコースへ一人で行こうと

迷っていたが、色々都合があわず行かず終いだった。


そして色々調べていくうちそこがすべてを組織化して

次第にスピリチュアリズムを大きなビジネス体系へと

持って行ったという事実が次第にわかってきて

その事が妙に心にひっかかるようになった。


日本人はあまり知らないけれど、英国では新聞などで

かなり批判されている学校だ。もちろん褒めている記事も

たくさんあるし、賛否両論だ。面白いのは英国の有名誌

サンデータイムズの記者が生徒としてそこへもぐりこんで

皮肉な記事を書いていることだ。英語がわかる人は

面白いので読んでみて。そこへ行くのがミディアム

としてステイタスのようになっていて、勉強している人は

みんなAFCへ行くのが夢になっている風潮がある。

現にかつての私がそうだった。(恥ずかしながら元会員)


でもここへきて何度も書いているが一番気になる事。

「そもそも精神的な世界ってお金で買うものだろうか。」

この一行が言いたいがためにこんなに書かなきゃならない(汗)


子供でもわかるそんな簡単なことにも気づけない状態に

人は陥ってしまうものだ。せめて高額のワークショップへは

お金の無い人は行かないでほしい。


私はよせばいいのに、Vというぼったくり会社で

エゴの塊のような(今思うと)D.L.というミディアムの

上級ミディアムシップコースで大金すっちまっただ。

(何故か突然信州弁)馬鹿ですよね〜。

お金が有り余っている人ならな〜んにも言わない。

どうぞ楽しんで下さい。


そういうぼったくりは禅もキリスト教系もカルトでもある。

何十万もとって座禅させるかと思うと無料の所もある。


けれども私がこう書いても金も無いのにワークショップへ

行く人は行くだろう。何故なら(ここがポイントです)

私たちには「自由意思」は無いからなのだ。


それは昔のギリシャの哲人やインドの賢人が

とっくに言っていることなのだが、驚くことに

最近科学でもそれが証明されそうなのだ。


すべての人は源によって動かされている聖なるロボット。。。

こう書くと曲解する人も出てくるだろうが真実かもしれない。

仏教や禅やアドバイタを突き詰めていくとそうなる。


だからミディアムになる人はなるだろうし、導きが無ければ

ならない人はならないだろうと思う。


けれども真に能力のある人は一握りに決まっている。

それが「私もなれる」と思わせるのがビジネスなのだ。


まじめな先生もたくさんいるし、人格者もいるでしょう。

けれどもスピリチュアルの勉強で金銭的なトラブルに

陥っている人が後を絶たない。


先日はTVのニュースでも話題になった。

結論はこうです:

もしあなたが「死別の苦しみをなんとかしたい」と思うなら

大切なお金を使って100回ワークショップへ行くよりも

一晩中ベッドで七転八倒して泣き叫んだ方が効果があります。


そして悲しみと共にそこにとどまってほしい。

そこから逃げないで下さい。

そうすれば悲しみから逃げていく。


私のいう事が残酷に聞こえるかも知れない。

けれども私は心底心配している。何故なら世間には

深い悲しみにいる人を食い物にする人は

いくらでもいるからだ。


もしスピリチュアルの勉強が生きる励みになるなら

予算が十分にあるなら、人助けの為にうんと勉強して下さい。


でも私みたいにビンボーならお金を使わなくても十分できる。

瞑想会、読書、無料勉強会など色々できると思う。


今の心境を正直に言うと、あれだけのお金を動物団体や

貧しい子供達に寄付していたら。。。という大きな悔い

それが私をいじめている(笑)


もっと色々と書きたいことはあるけれど、あまり書くと

差し障りがありますのでこのくらいにしておこうかな。

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今日もお読みいただきありがとうございます。
「流されないで」「見極めて」。。。

それしか言えない。



posted by おとめ at 19:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアリズム