2017年08月07日

自分とは何なのか

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先に言ってしまえば「自分」というものなど無いのだ。

それなのに「ある」と思い込んでいるのが私たち。

自分が無く幻想ならば、エゴなどというものも

本当はどこにも無いのだ。


自分はこの「体」であると頭から信じ込んでいて

その体の自分を外界と区別しているからだ。

そこに気づかない限り人は不幸であり続けるだろう。

本当の解放は無いだろう。


だからと言って魂とかいうモノがあるというのではない。

そういうものはただ自我の延長なのだ。

本当の自分を知った時すべてが明るみに出る。


自分を外界から孤立したものとして見る限りそこには

限りない不安や恐怖、孤独がある。身を守ろうとする。

それがエゴ=自我でありあなたが「自分」と呼ぶもの。


すべてのものは流転し、変化し、真実は一瞬一瞬の

その中にある。この一瞬はこう書いているうちにも

すでに「過去」となっていく。


真実があるのはその一瞬だけだ。そこには苦しみも

自我もない。何故ならこの一瞬はすべて新しく

そこには「経験」や「記憶」つまり「時間」がなく

「自分」に関するものが何もないからだ。


「自分」が無い時、人は「すべてのもの」になる。

すべてが自分なのだ。何故ならすべてとは

「ただ一つの命」であり、それが私やあなただからだ。

そこにはただただ無条件の愛しかない。


それは永遠の初めも終わりも無い計り知れないもの、

死ぬことも生まれることも無い、生きているものだ。

私はそれを「存在」と呼ぶ。他に言葉がみつからない。


ラメッシ・バルセカールは人間には自由意思はなく

すべては「意識」であると言っている。

それは一種の「エネルギー」と言えるものかもしれない。

意識=神様ととらえることもできる。


この見方を維持できるようになると、世界は

一変するだろう。見ることすべて、起こる事すべてが

自分の意志ではなく「存在」の意志で為されている

ということがわかるようになる。


苦労の多い人生であった人ほど、それが実感できるだろう。

一度だって自分の意志がうまく行った試しがあるだろうか。

じっと胸に手をあてて考えてみてほしい。


しかしラメッシはそこまでしか言わない。

その先があるのだ。

つまり私たちが行動したり考えたりする、その

エネルギー、その意志の本当の源だ。


その点がだんだんわかってきた時、自我は行き場

を失い、それはまたそのまま「自分」というものが

無くなるということを意味する。すべてを「存在」に

ゆだねて生きることになるからだ。


すると逆にどんどんすべてがうまく行くようになる。

悲しみも苦しみも軽減され、あるいは無くなり

大きな力に「ゆだねる」ことからくる開放感は

途方もない幸せとなる。すべてを、自然を人を

動物を、見る物すべてを愛するようになる。


人は往々にして自分が、自分の意志や自分の希望

自分の、自分の。。。が消えることを恐れる。

この体が死ぬことを恐れる。


あなたは死にはしない。死ねない。

あなたは生まれさえしなかったのだ。


自分など本当はいない。その事を直視できないものだ。

そして「永遠なるもの」を信じ幻想を信じる。

永遠なるものはあなたそのものなのに。。。

そしてそれがついにわかり、真から実感したとき

世界はひっくり返り、人はそれを「悟り」と呼ぶ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

長い間お休みしていて申し訳ありませんでした。

体調がやっと戻りましたので、これからは

少しペースをゆるめて書いていきたいと思います。

宜しくお願いします。


posted by おとめ at 13:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 悟りについて

2017年06月05日

気づきのレッスンその2「自分が消える」

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さて新カテゴリ「気づきのレッスン」

今日は2回目です。日ごろ私が心の安定や

気づきのために実行しているあるレッスンをご紹介。


今日のテーマは。。。「自分」

あなたは「自分」が好きですか?それとも嫌い?

綺麗な自分、可愛い自分、怒りっぽい自分

三度のメシよりパチンコが大好きな自分、

それとも三度のメシだけが生き甲斐の自分、

嫉妬深い自分、恋してる自分、エトセトラ。。。

みんな「自分」がいると思っていますね。

。。。。。


「もちろん〜」「なに馬鹿なこと言ってるの?」

「またヘンテコリンな事書いて私達を煙に

巻くつもりなんでしょ。そんなの信じないから」

エトセトラ、エトセトラの声が聞こえます(笑)


しかし何を言われてもカエルのツラに何とかの

この私だけど、またどうしてこのレッスンを

世に発信する気になったんでしょうか。


何故ならそれは私が苦労の末に発見したある

大事な宝物を人とシェアすることになるからです。


気前がいいのが下町っ子の性分なんで〜

もうタダでいいよ、もってけドロボーてな感じで

バナナの叩き売り状態。


私が心の平安をゲットしたのであなたにも

それをゲットしてほしいのです。それだけです。

まあ一種のボランティアですね。


別にやりたくない人はやらなくていいんですから。

でも〜今どきの世の中で入会金も授業料もすべて

無料のワークショップですよ。ちょっとダメ元で

やってみてもいいんじゃない?ってノリの方は

お気軽に参加して見て下さいね。

ゲーム感覚でいいんですよ〜


さて、今回は「自分」についてということで。。。

自分=「あなた」はワンルームあるいは2DK、

3LDKのマンションやアパート、それとも広い

一戸建てのお家、なんでもいいですが、そういう所に

住んでいますよね?

(それとも洞窟とか刑務所の中って人でもOKです)

家の中には何があるでしょう。


どんなに質素でもきっと何かしらの家具があって、

子供がいて、犬や猫がいて、あるいは一人住まいで

庭には草花が植えてあるかも知れません。

それとも荒れ放題の庭というのもいいですね。

モノが一杯で足の踏み場が無いって人はかえって

面白いことになるかも知れませんよ〜


そういう自分の周りのモノをよく見渡して下さい。

その時一つづつゆっくりと見ていきます。

もし盲目の方がいらしたら見るのではなく

「触って」もレッスンはできます。


たとえば、まず身近なものから、タンスなんかを

じっと見て見ます。そして問いかけます。

「それは自分だろうか」と。。。。。

。。。。。

。。。。。

まあ、バカバカしいと思うでしょうが(笑)

ともかく一応問いかけて見て下さいね。


。。。。。


問いかけましたか?そして答えは何でしたか?

「いいえ」ですよね、。。多分(笑)


次に今度は何にしようかな。。。もしもそばに

猫がいたらその猫をまたじっと見ます。

そして同じようにまた問いかけます。


「ミケや、お前は私なの?」

猫の柔らかな背中を撫で撫でしながらでも、

その可愛らしさをじっくり味わいながら。。。


問いかけましたか?

答えは。。。「いいえ」だったことでしょうね。

あるいはミケが「ウンニャ」と鳴くかもね。


大丈夫・・・あなたの精神は正常です( ´艸`)

少なくともここまでは(笑)

さらに問いかけをどこまでも続けます。


次はたとえば。。。時計でやってみましょう。

壁掛け時計でも柱時計でも、腕時計でも。。。

「カチコチかっちんお時計さん、いつも動いてる

あなたは私なのかい?」。。。。。

時計が答える筈もなく、答えは「いいえ」ですね。


じゃ今度は鏡はどうでしょう?

「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのは?

うひひ。。。この私だよね〜もちろん!

絶対ノーとは言わせないよ」じゃないですよ〜

問いかけは「お前は私なの?」ですからね〜。


「いいえ〜奥様、私はあなたではありません」

という声が聞こえた、なんて人はいますか?

そういう方はすぐに病院へ行って下さいね。

相当お疲れのようです(笑)


同じように花、冷蔵庫、テーブル、椅子、などに

「これは私だろうか」と問いかけて下さい。


そして答えはどうでしたか?

全部「ノー」だったら、おめでとうございます!

あなたの頭は正真正銘、正しく機能しています。

めでたし、めでたし、ということで。。。。。

このゲームが。。。終わるわけじゃないんです。。。。。

。。。。。

。。。。。


最後に大事なものが残ってます。。。。。

それに問いかけなければこのレッスンは全く

何の意味もなくなるでしょう。


次に問いかける対象、それは「あなた」です。

わかりやすく言うとあなたの「体」です。

あなたは日頃、自分というものをその「体」

だと思っていますよね。それとも「脳」だと

思っている人もいるかも知れませんね。では

それが「事実」なのかどうかやってみましょう。


時計や花を見たのと同じように自分の「体」を

見て下さい。見やすい腕や足から始まって胸や

手やつま先や、髪の長い人は髪の毛とか、もちろん

顔は自分で見ることができませんから、鏡に写して

顔も見たかったら見て下さい。頭には「脳」が

詰まっている筈ですよね。それは直接見ることは

できませんが、手術の時は医者が見る物です。

したがってそれも「モノ」と同じですね。


さて、そういった見る対象は「自分」でしょうか?

。。。。。

「もちろん!」って言うでしょうね、

ほとんど、ていうか全員が。。。。


そこで!さあ私のイジワルが始まります。

。。。。。。。

それじゃ聞きますが、その体や顔を「自分だ」

とわかっている人、それは誰なんですか?


時計や花と同じように「見える」もの、それを

見ているものは誰なんでしょう?

というのがこのレッスンの核心です。


「脳」というのはこの場合なしです。

何故なら脳を含む頭も鏡で見ましたよね。

風呂敷で包んだスイカと同じです。

中身は見えないけど、そこにありますから。

だからそれも見られるものに当たります。


これは犬、これはテーブル、これは「体」

ということはその「体」は本当は「自分」

なんかじゃない筈なんですよ。


これを主体と客体と言いますが、見る者を「自分」

とするならば、見られるもの、対象、それは絶対に

「自分」じゃない筈なんです。論理的な思考では

そういう事になりますね。


テーブル、椅子、体は見られるもの、つまり

「客体」なので「主体」ではありえないでしょう。

そうではないでしょうか?


ほらほら〜わからなくなったでしょう?

面白いと思いませんか?

始めてこの問いかけをした時、私は

人生で一番夢中にしてくれるものを

ついに発見した!と思いましたよ〜。


それじゃ、自分の体を見ているもの、主体とは

一体誰なんでしょうね〜?


「いたぞ〜」と思ってもそのいたものを見ている

もう一つの存在がまた出てきますから、

二枚の鏡を合わせたように、果てしなく、永久に

この主体=私探しは続いちゃうんですよ。


不思議じゃありませんか?今の今まで「自分」

だと思っていたものは自分なんかじゃないんです。

自分が消えてしまいました!さあどうしましょう。


それはただの「体」であり、時計や家や犬と同じ

物質であり、客体ということになります。

科学的に言えば素粒子でできた「モノ」なんです。

素粒子と言うのはご存知のようにそれ以上は

細かく分けることのできない(今のところ)

すべての物質の最小単位です。


別の言い方をすれば、そういうモノや体を見ている

「あるもの」それが本当の「自分」ですよね。

ね〜?そうじゃありませんか?つまり「自分」とは

この体ではあり得ない、という事なんです。


自分は体では無い、というとすぐに「霊」だとか

「魂」だとかよくわからない事を言いたくなります。

でもそういった事はこの際は全く忘れて下さい。


そういうものに恋い焦がれる気持ちはわかります。

特に死別したりすると人はそういう風になります。


でもそれはあるか無いかまだ科学的な「証明」は

ありません。色々な「現象」があるだけです。

だから確かにあることはあるのでしょう。。。。。

でも。。。色々起きた不思議な体験。。。

それは各自が自分の中で大切にすればいいのです。


そういう事にアレルギーの人もいるでしょうし

そういう神秘的なことはそのままにしておきましょう。


今私はちゃんと論理的で科学的な目で「真実」を

探したいのです。あなたも本当はそうでしょう?


何故ならいつも言いますが、そういう未知のもので

人を利用するうさん臭い世界があるからです。

誰だって私利私欲の為に利用されたくないでしょう?

少なくともこの「私」はそうです。


それにしても。。。自分とはこの体じゃないとは

実にびっくりです。。。。。

じゃ、「本当の」自分とは何なんでしょう?

それはどこにいるんでしょう?

知りたいと思いませんか?


その「本当の自分」というものを発見した

有名な人がいます。それが仏陀です。

12月の明けの明星を見た時に彼には「それ」

つまり自分が誰なのかがわかったのです。


アドバイタの世界で言えばその「客体」が

「ブラフマン」「主体」が「アートマン」と言われ

アートマンとブラフマンが合体して「梵我一如」

という事になります。ちょっとむずかしいので

今はスルーしてしまってかまいません。


ただ「体」はあなた=自分ではあり得ない

自分はどこ探しても見当たらない。。。

ということがわかるのがこのレッスンの目的です。

あなたにはわかったでしょうか?

まだわからない、という人の為にもレッスンを

これからも続けますので楽しみにして下さいね。


さて、そこでこの体ではない「主体」とは何か。。。。。

それは躍動し、エネルギーに溢れ、生きています。

。。。。。今はそんな風に言っておきますね。


梵我一如=主体と客体が一つであること、それを

頭では無く「体感」し「実感」するのが「悟り」です。

。。。。。。。

。。。。。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうもレッスンお疲れ様でした〜

調子に乗って二回連続でしたが、

楽しんでいただけましたか?

また私のワークショップへ来て下さいね。

次がいつになるかは未定だけど(笑)





posted by おとめ at 09:49 | Comment(4) | TrackBack(0) | 気づきのレッスン

2017年06月04日

気づきのレッスンその1「もう一つの目」

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新しいカテゴリ「気づきのレッスン」

というのを追加しました。ここでは

私がいつも心の安定と気づきのために

やっているあるレッスンをご紹介します。


御用とお急ぎでない方や、ヒマでヒマで

毎日がつまらない人、変わったことが

好きな人(笑)などお気軽にどうぞ。


まあ、ネットでワークショップみたいな。。。

入会金、授業料は無料です(笑)

では始めましょうかねえ。。。


私達には目があって物を見ています。

普通の目は「自分」の目ですね。(当然)

でも!実はもう一つの目があります。


そのもう一つの目ですべてを見る

その方法があります。


たとえばここに一枚のバラの葉があるとします。

あなたはそれを「あ〜バラの葉だ」と

すぐにわかります。さらにそこにシミや

変色があると「病気にかかったバラのもの?」

とか「虫に食われたんだな」とか思います。

さらに「あまり綺麗じゃないな」とか

「育てた人はちゃんと手入れしてるのかな?」

とか思う事もあるかも知れません。


以上のような見方が「自分」の目つまり

通常のモノの見方です。


そこには何があるでしょう?

そこにあるのは「経験」「知識」「時間」です。

「バラの葉」だとわかるのは「知識」です。

その知識は学生の時に勉強したものだとしたら

そこには「時間」や「経験」があります。


さらにそれに対して批判や意見が浮かびました。

この通常の目で、色々なものを見ることとは

常に「時間」「経験」「知識」と一緒なのです。


その通常の目で物を見ることは生活をする上では

絶対に必要なものです。医学を研究したり

会社を経営したりといった時にも必要です。


けれどもその目は利益だけではなく、何か

よけいなもの、たとえば「苦痛」とかを

もたらしてしまうこともあるのです。


何かを見て、そこに苦痛や葛藤がある時

その時あなたは何を見ているのでしょうか。

たとえば、葉を見て「あ〜虫にやられちゃった」

とか「これはうどんこ病にやられたな、あちゃ〜」

と嘆くとき、あなたは何を見ているでしょう。


その時あなたはその葉を見ていないのです。

あなたが見ているのは「過去」という「時間」

からの「知識」や「経験」を見ているのです。


「うどんこ病」という知識が「苦痛」の感情

を湧き上がらせています。

つまりその「葉」は真実の「葉」ではなく

何かに汚染された葉です。


ここまではわかりましたか?


それでは次に一切の経験、知識、時間を忘れて

はじめてそのもの(葉という知識さえなく)を

見たような目で見ます。ただ見ます。

そこにあるのは「ある形」「ある色」です。

あなたはそれについて一切知りません。


葉が茶色くなっていたり、白っぽくなっても

それをそのまま、ありのままに見ます。


その時何を感じましたか?

あなたはそれをあるがまま見られますか?


あるがままに見ている時、そこに

知識や経験はありません。

ただ「見ること」だけがある筈です。


すると見る対象についての一切の批判や意見

というものが消えていることにきづきますか?


赤ちゃんになったような気持ちで

それを見る時、あなたの胸のどこかが

暖かくなりませんか?


そしてそのものとあなたの間の距離も

次第に無くなる瞬間を感じること、それが

できた時、ただ愛おしく見ていることに

気づきましたか?


それが「もう一つの目」です。

そしてそれは「存在=神=宇宙=」など

どう呼んでもいいですが、そういうものと

つながっています。


そしてその目で見ているのが

「本当のあなた」です。


同じことを花や鳥や月や本や子供の顔

などでやってみましょう。

慣れてきたらそういう目で人を見て下さい。

ちゃんとできるようになった時

あなたに奇跡が起こります。


ただし、初めから「奇跡が起こる!」

などと期待したらすべてが水の泡です。

何一つ期待しない事、それがコツです。


知識の豊富な人や学者タイプの人は

できるようになるまで時間がだいぶ

かかるかもしれません。


赤ちゃんに帰ったつもりになって下さい。

何一つ期待しなくても、この目で見ること

そのものが、あなたを限りなくリラックスさせ

柔らかな気分にしてくれるでしょう。


何故ならそこに「何か」が無くなっているからです。

その「何か」で人間はストレスを感じたり、人と

争ったり、不幸になったりするからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いかがでしたか?いきなり難しかったかな。

何言ってんだかわからない?ふふ、そうかもね。

この実験は慣れるまではお休みの日など

仕事中でないときにやって下さいね。

じゃないと差し障りがあるかも知れませんから。





posted by おとめ at 21:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 気づきのレッスン

2017年06月03日

二つのエネルギー

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今日は午前中はある会合に出席した。

それは日本で最近見られるようになった

あるシステム。今詳しくは書けないが

精神的な悩みや苦しみを持つ人達が集まり

思いのたけを話すことができる。


一人づつ順番に話すのだが、それに対して

誰も批判したり、意見を述べたりしては

いけない。ただじっと傾聴する。


話したくなければパスして人の話を聞く。

本名も名乗らなくて大丈夫の匿名性の高さ。

個人的秘密は厳守される。他言無用。


いずれ時が来たら詳しく書くつもりだが

これは大変良いシステムだと思った。

もちろんお金はかからない。

気持ちで寄付金箱に入れるだけだ。

すでに日本のあちこちにも支部が

たくさんできつつある。


普通のグリーフケアと違って、問題は

「悲しみ」だけではなくあらゆる精神的な

悩みが対象になる。そして何と言っても

特徴的なのは、このシステムでは悩みを

分かち合いながらも、根底においては

「神」に解決をゆだねることだ。


その「神」というのは自分の好きな神で

構わない。クリスチャンの神でも神道の神

でも、どんな宗教の神でもいいし、または

自分の信じているハイヤーパワーでもいい。

そういうものは一切信じないという人でも

それはそれでOKで参加できる。


とにかく「神」という絶対の存在に任せる

ことで「自分で問題を解決できる」、という

一種の自我の「驕り」を捨てるのだ。

人は一人では決して問題は解決できない事を知る。


アメリカで生まれたシステムなのだが全く

宗教的でもスピリチュアル的でもなく

フレンドリーで大変自由な雰囲気。


もちろんいかがわしい新興宗教なんかでは

絶対にない。あくまでもアマチュアの

集まった人助けサークルなのだ。


今の日本社会ではどんだけ苦しくても

悩んでいても誰にも話せない事が多い。

それで急に自殺してしまったりする。


気軽にぐちをこぼす場所がないということや

人の目を非常に気にする国民性というのも

関係しているのかも知れない。


ただ、いざ自分が話す段になると案外話が

あらぬ方向へ行ってしまったりもして

思うように話せなかったりもする。


だが、人の苦しみと一つになって、ひたすら

聞くことは非常に自分の向上にもつながる。


いかに私達はふだん人の話をじっくりと聞いた

ためしがないことか。いつも何かしらで

急いでいて、集中力も欠けているのではないか

とつくづく会合に出席して思った。


大事なのは話がうまかったり、饒舌だったり

冗談を言うのが上手いことではなくて、

いかに人の話を聞けるかにその人の

人間性が出るのかも知れない。


とはいえ、あまりに集中して聞いたので

いささか神経が疲れた。


自分も経験して解決済の悩みが多かったので

なんとかしてあげたいな、という気持ちが

強く湧き起るのをどうしようもなかった。


あれこれ聞いた話を反芻しながら一人で

お昼を食べて、無料サービスのコーヒーを

飲みながら気持ちの切り替えをした。


午後は隣の駅までサルサのレッスンへ。

ラテンのリズムであふれる室内へ入ると

空気が違う、雰囲気が違う、みんなが

オーラで輝いている。びっくりした。


まるで空気に色がついているようだった。

会合の時の室内はダークグレーの世界。

でも柔らかな思いやりに満ちていた。

サルサ教室はまるで明るい薔薇色だった。

二つの全く違うエネルギー。。。


体を動かすという事は体内の浄化にも

つながるけれど、改めてその効果を

目の当たりにしてびっくり。


でも生徒はやはり若い人が多いので

ステップについて行くのが一苦労。

すぐ腰や膝が痛くなる。

そのクセアップテンポの曲が好きだから

どうしようもない。


ドタドタ間違えながらもなんとか基本ステップ

だけはできるようになった(かな?)


体はクタクタになったけど、精神面でも

身体的にも充実の一日だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもアクセスありがとうございます。

今日もすべての出来事に感謝。








posted by おとめ at 20:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | そのまんまの日々

2017年06月01日

悲しいあなたへ

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ベランダの花をお供えしてみた。


人間をずっとやってきてつくづく思う

これまでよくも生き延びてきたな〜と。

七転八倒しながら、命からがら。。。

気がついたら人生もあと何年か知らないが

オマケのようなものになった。


恥ずかしながら盗みや犯罪以外は

ほとんどの事を経験してしまった。


そしてわかったことはただ一つ。

苦しみも悲しみも味わうためにある

ってこと。それが生きるってこと。


死別したから死別の悲しみがわかる。

世界で悲惨なことが起こり、子供も死ぬ。

その苦しみも手に取るようにわかる。


愛する人の死によって、次第にいろんな

葛藤や人間のドロドロや小賢しさや

思い込みやちっぽけな我を守る気持ち、

自分の愛情の中にさえもあったさまざまな

ゴミ。。。そんなものが悲しみや涙と共に

消えていく。


お骨をかかえて泣き叫び、琵琶湖一杯ほど

とも思えるような涙を出し切ったあと、

最後に何かあたたかいもの、「愛」としか

表現できないような、そんなものが残る。


それは自分が「愛」だと思っていたものから

色々な不純物を取り除くことで可能なのだ。

その不純物にはすべて「私」がついている。


「私」の悲しみ、彼がいなくて「私」は悲しい

妻は「私」を幸せにしてくれた。あの子は

「私」の希望だった。。。。こうしたものを

すべて取り去ってただひたすら亡き人への

思いがクリアになって行った時、そのあとに

残ったものが本当の「愛」だ。


この過程に要する時間は人によってさまざまで

一瞬のひともいるだろうし10年かかる人も

いるかも知れない。


エリザベス・キューブラーロスという精神科医が

この過程について同じことを書いていた。彼女は

死への恐怖がとても大きかった人で、色々研究した

ようだ。彼女の書いた本にこの過程を経験した

スラム街の黒人女性の話が出てくる。


彼女は表向きは病院の掃除婦だが、神様が与えた

本当の仕事は、ガンや難病で死にゆく人に寄り添い

その苦しみを無くすことだった。


彼女が患者の手をとり、何かつぶやくと、みんな

不思議な事にそれは安らかに死んでいった。


彼女は最愛の子供が貧困ゆえに医療が受けられず

自分の腕の中で息絶えたのだった。


彼女はそれ以来「死」というものを乗り越えた。

「果てしない力」が彼女を動かしたのだ。


私は今何の宗教も教義も信じていない。

仏教もキリスト教もモスリムも。。。

ただすべてが神の「恩寵」としか思えて

仕方がない。「死」さえも。。。


「神」というとまた誤解されるけれど

それはなにか果てしない存在。。。

人間には到底理解しえない存在。。。


それはたった一つの命であり、それが

すべてに形を変えてあなたや私となって

現れているのだろう。だからこそ

あなたの悲しみは私の悲しみでもある。


悲しみは間違いなく人間を昇華させる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもお読みいただきありがとうございます。

やっとお花を色々お供えできるようになりました〜

亡くなったみんな喜んでいるだろうな〜

posted by おとめ at 16:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 悲しみについて

2017年05月31日

至福の時

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本を読んでいるといつの間にかミミが。。。



しばらく喉を鳴らしていたけど

本に夢中な私。。。


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ふと気づくとミミはいなくて

くーたが「僕にもお願いします」

とスリスリしている。

はいはいわかりましたよ。どうぞ。


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あ〜いい気持ち〜夢なら覚めないで♪

猫ってあご乗せ台がほしいみたいだ(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもアクセスありがとうございます。

posted by おとめ at 21:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫なで声

2017年05月30日

ラテンパーチーに行ってきた

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サルサの生演奏


甲府までラテンパーチーに行ってきた。

生バンドで踊るのは久しぶり。

夫とよく六本木などのラテンクラブに

踊りに行ったけど、今度は夫ナシだから

ちょっと不安だった。でも超楽しかった。


行きと帰りは車に乗せてもらって私を入れて

5人、小学生も一緒で和気あいあいだった。


途中山のふもとのレストランへでランチ。

こんな所で商売できるの?ってほど

な〜〜〜〜〜んにも無い所にあった(笑)

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そのかわり窓からの眺めは最高。



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オムライスが絶品だった。

菊の葉のうえにゴボウサラダが載っていて

料理人のセンスを感じる。

ケチャップも手作りらしい。裏に畑もあった。

お店の名前を忘れちゃったので残念。


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若い人も年配の人もいて

みんな楽しそうに踊っていた。

私もステップ間違えながらも必死。


六本木あたりだともう身動きできないけど

ほどよく空間があいていて踊りやすい。


踊りながら夫の面影がちらついて

ちょっぴり寂しいな〜と思ったのは事実。

でも飛び切りの楽しい一日に感謝。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもアクセスありがとうございます。
子供も大人も踊れるラテンダンスいかが?
あ〜汗流した〜









posted by おとめ at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | そのまんまの日々

2017年05月29日

何も信じられないときは


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スピリチュアリズム、シュタイナー、禅、

アドバイタ、ダスカロス。。。どれもこれも

学べば学ぶほど、深みにはまればはまるほど

自分を、真実を見失っていく気がする。。。。。


とりあえず概要だけはそれぞれ自分なりに

必死に、かなり勉強してきたけれど。


さて、この辺で一息入れようと思う。

薔薇を見ていてふと正気に帰った。

私の脳ミソのキャパシティーは

元々そんなに無いんだから(( ´艸`)


残りの短い人生の時間でこれらすべてを

理解することなんてできやしない。

真実はどこにあるのだろう。

それを知ってから死にたいと思って。。。

がむしゃらに本を読んできたけれど。


結局人間ていうのは限られた存在でしかない。

弱く、虚しく、苦しく、それでも少しばかりの

快楽を求めて生きているに過ぎない。


たとえば仏教や禅の関係書だけを読んでも

宇宙規模の迷路に迷う事は間違いない。

絶対に精神的変調をきたすと思う。

真面目な人ほどそうなるだろう。


だから始めからすべてを捨ててしまった

クリシュナムルティは賢いな〜と思う。


ただ一つわかっていることは、ただ今の

この瞬間、これだけが真実ということ。


薔薇の香りをかいでいる瞬間、猫をなでなで

している瞬間、体の痛みに耐えているその瞬間

汗を流してサルサを夢中で踊っている瞬間

そうしたものは絶対に否定できずそこにある。


神様が私の体を通して味わっているんだ、

という実感が湧いてくることがある。

何も考えず喜びと共に、苦しみと共にある時

私はいつも神様を感じる。


だからすべてをあるがままに受け入れられる。

虚しさも、悲しみもそのまま。。。


今この瞬間、それは神様がいる瞬間

私達を命の光で照らしてくれる一瞬一瞬

そのおかげで私達は泣いたり笑ったりできる。


そこにはいつも無条件の「愛」がある。

苦しみや悲しみの体験の中にすら。。。。。


そして亡き人も、生きているものも、同時に

この瞬間、その広大な「愛」の中にいるのだ。


なにも信じられないとき、その先にあるもの

それはいつだって私達には計り知れない存在

見ることもできないが、確かに感じる存在

それだけが真実かも知れない。

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人間が何千冊の書物を読もうが、その知識など

計り知れない存在の前には塵あくたに過ぎない。


ただじっとそよ風に身をまかせそよいでいる

一輪の花に勝るものがあるだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもアクセスありがとうございます。







posted by おとめ at 20:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 苦しみについて

2017年05月28日

ムスクの香り

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夫のいる所はこんな感じかな〜



毎朝愛する薔薇たちを見るのが楽しみな

今日この頃。。。数ある花々の中でも本当に

薔薇と言うのは昔から人の心を魅了する。


いつからこれほど薔薇が好きになったのか

つくづく考えて見たら、小学校の時にさかのぼる。


仲良しの友達の家は昔の公団住宅の一戸建てで

質素な作りだったが心地よい広さの前庭があり

お母さんが庭中に薔薇を栽培していたのだった。


「ちょっと上がっていきなさいよ」と言われたが

私はいつも庭の薔薇たちを眺めるのに夢中。

子供の顔ほどの大きな薔薇が一杯咲いていて

そのむせ返るような香りと明るい春の日差しが

半世紀以上たった今でも蘇る。


きっと「ミスター・リンカーン」とか

「マリア・カラス」とか「ピース」(平和)

「コンフィダンス」(信頼)エデン・ローズ

「ニュー・ドーン」(新しい夜明け)とか

「スパニッシュ・ビューティ」(スペイン美人)

などなど当時のメイアンやコルデスの品種が

所狭しと咲き誇っていたんだろうな〜

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さて今日の我が家の薔薇は「バフ・ビューティ」

という可愛らしい中輪のオールドローズ。

この名前のBuff Beautyだがうまく訳せない。


Buffというのは色んな意味があって

靴・車などを磨く、研磨する、もみ革で

こする、柔らかいもみ革、もみ革色、

淡黄色や渋い薄茶色に黄色が混ざった色、

場合によって素肌などなど。。。


もみ革って何なのかよくわからないな〜

イメージにそぐわない気がするから一番

マシなのは「薄黄色」と「磨く」かな〜


海外サイトで検索すると磨いたネイルの写真が

沢山出て来た。磨いて輝いたような。。。

つまり「輝く淡い黄色の美」とでも言おうか。


この薔薇はオールドローズの中でも

「ムスクローズ」に属し、比較的近年の

「ハイブリッド・ムスク」の仲間だ。


だからハイブリッド・ティー種のような

輝く葉をもっているし、香りは古い薔薇の

ムスク(麝香)の上品な甘い香りがして、

良いとこ取りなのだ。


とても丈夫で日陰でも育ち、枝はしなやかで

ちょっとうつむき加減に咲く小さめの花は

とても愛らしい。和風の庭でも合いそうだ。

私は「ムスクちゃん」と呼んでる。

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幼苗につきまだちょっといじけ気味((;´・ω・)


うちのは一見「白薔薇かな?」と思うくらい

白っぽく咲いてしまったが、肥料をやり過ぎ

と反省している。でもそれなりに綺麗だ。

こちらの画像で本来の美しさをご堪能下さい。


例によって朝からくんくん、クンクン。。。

切り花を飾ると家じゅうが薔薇の香りで一杯。

安上がりなアロマセラピーでもって

癒し療法続行中。この香りが天国まで

届きますように。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うちの小さな花園にやっと咲いた春の薔薇の
一番花をご紹介してきました。

まだこれから咲くのもありますが、とりあえず
ここで一区切りです。どうもお退屈様でした〜。



posted by おとめ at 20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小さな花園

2017年05月27日

マダムのお出まし

我が家はせっかく春の薔薇が今をここぞと

咲き誇っているので、またまたご紹介。

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今日の薔薇は「マダム・イサックペレール」

なにやら舌をかみそうな名前なので

私はこちらを「マダム」そして昨日ご紹介の

「プリンセス・シャルレーヌ・ド・モナコ」を

「プリンセス」と呼んでいる。


プリンセスはハイブリッド・ティー

略してH.T.に属するモダン・ローズ。


このマダムは系統としては「オールドローズ」

に属する。その中でも「ブルボン・ローズ」

と呼ばれるもので、東洋と西洋の血をひき

昔ブルボン島ではじめて発見され、さまざまな

品種が交配によって生まれた。


かのナポレオンの王妃ジョセフィーヌも

薔薇が大好きで、マルメゾンの広大な庭園で

おかかえの園丁たちにあらゆる種類の薔薇を

栽培させていた。ブルボンローズもその中に

入っていたという。

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このマダム・イサックペレールは「ぺレール夫人」

という女性にちなんで作られたものだろう。

きっとたぐいまれな美人であったとか

すぐれた叡智の持ち主で慈愛の深い女性だったとか

何かそういった女性がいたのだろうか。。。


あるいはただ単に知り合いの奥さんとか(( ´艸`)

その人に惚れちゃっただけだったとか。。。

薔薇には人名がつけられることが多く、いつも

想像力を掻き立てられる。


この花の花色を見ていると優雅で社交的な美女が

心に浮かんでくる。香りはそれこそ着飾った

貴婦人がつける香水のようで、「私、ここよ!」

みたいな感じにアピールしてくる(笑)

きっとこんな感じの美女じゃないかと。。。


Emile Vernon.jpg
この女性はどことなく若い頃の母に似ている。。。


本来とても花付きの良い薔薇なのだけれど

マダムには信州の気候がまだなじまず

(てか私の栽培の仕方が東京のままなんで)

もって生まれた押し出しの強さが出ていない。


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あでやかなロゼット咲き


うどんこ病にもちらほらやられて。。。

オールドローズの特徴である艶消しの葉が

あな、おいたわしや。。。お可哀想なマダム。

この下手な園丁をば、何卒お許しのほどを。


夜はセーターをはおりたいくらい寒くなったり

かと思うと先日は真夏のような暑さで。。。

マダムもさぞご苦労なさっているに違いない。

どうぞ、とレースのハンカチでも渡したくなる。


でも秋にも返り咲くというから、楽しみに

お待ちしていますよ、ぺレール夫人。

信州の秋はきっとお気に召すことでしょう。

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今日も私の小さな薔薇の園にお越しいただき

ありがとうございます。しばしの間優雅な気分に

なれましたでしょうか。おほほ。



posted by おとめ at 19:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 小さな花園

2017年05月26日

五月のプリンセス

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うちのプリンセスが咲いた


今日の薔薇はモナコのシャルレーヌ公妃に

捧げられた「プリンセス・シャルレーヌド・モナコ」

その名の通り淡いピンクオレンジの貴婦人の

ドレスのような色合いの花色で花はゆったりと

大らかで、花の香りは実に素晴らしい。


この香りは「ローズ・ド・メ」(五月の薔薇)の香

を放つ。つまり香水の原料のために栽培される

ブルガリアン・ローズの血を引いている。


毎朝ベランダの戸を開ける度に癒しの香りが。。。

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ここでお茶を飲むと、安いテイーバッグでも

ロイヤル・テイーの味になるんだよね♪

となりにあるトマトの鉢植えが。。。若干

夢を。。。覚ましそうではあるけど(汗)


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直径10cmは軽く超えるかな?

素晴らしい色合いは言葉に尽くせない。


作出者はメイアンでこれも昔からさまざまな

薔薇を作り出してきた名作出会社だ。

つまりフレンチ・ローズ。


こちらが実際のシャルレーヌ公妃

イメージがまさにぴったりだね。

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この北アルプスのふもと地方では昼夜の寒暖差が

とても激しいので、葉が少しうどんこ病になって

しまったけど、そんな事など何のその。

愛しい薔薇に顔をうずめてくんくん。。。

まさにヒーリングのアロマだ〜。


あ〜シアワセだあ〜!この瞬間をず〜っと

冬中待ち焦がれていたのだから。

神様ありがとう。。。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日もアクセスありがとうございます。

写真がね〜あまり上手くないけど雰囲気は

伝わるといいなあ。
posted by おとめ at 16:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小さな花園

2017年05月25日

恋人は赤い薔薇


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夫は赤い薔薇が大好きだった。さっそくお供えした。



薔薇や草花をこちらのマンションでも植えよう

と思ったのは、スーパーで買うお供えの花が

とても高いからだった。安い花屋さんが近所に

見当たらず、車で遠くのブラワーセンターへ

行かないと買えない。


こちらへ越して驚いたのは案外車社会

であることだった。女性の99.9%が

免許取得者だという。今更免許はとれないし

スーパーで何か買い物してもけっこう重く

なるし、歩いて帰るのもきつくなったので

大人用三輪車でも買おうかと思っている(笑)


昔はバスも走っていたようだが、今はほとんど

見かけない。大きい子供のいる家では一家に

3台くらい車がある家も珍しくない。


けれども圧倒的に人口が少ないので、大気汚染は

東京に比べれば話にならないくらい感じない。

たまに東京へ出ると空気が臭いのがわかる。


だから昨日の記事でも書いたように

気軽にお供えの花として飾れる花、それも

大好きな薔薇が咲いてとても嬉しかった。


そういえば昔あったな、こんな詩が:

my Luve's like a red, red rose
僕の恋人は赤い赤い薔薇

ロバート・バーンズ作

O my Luve's like a red, red rose
That’s newly sprung in June;
O my Luve's like the melodie
That’s sweetly play'd in tune.

ああ 僕の恋人は 赤い 赤いバラのよう
6月にみずみずしく咲いている
ああ 僕の恋人はメロディのようだ
甘い調べを奏でてる

As fair art thou, my bonnie lass,
So deep in luve am I:
And I will luve thee still, my dear,
Till a’ the seas gang dry:

なんと君は美しいことか 可愛い人よ
そして僕の愛もなんと深いことだろう
僕は君を愛し続けるだろう 愛しい人よ
海がすべて枯れ果てるまで

Till a’ the seas gang dry, my dear,
And the rocks melt wi’ the sun:
I will luve thee still, my dear,
While the sands o’ life shall run.

海がすべて枯れ果てるまで 愛しい人よ
岩が太陽に融けてしまうまで
僕は君を愛し続けるだろう 愛しい人よ
命の砂がこぼれ落ちている限り

And fare thee well, my only Luve
And fare thee well, a while!
And I will come again, my Luve,
Tho’ it were ten thousand mile.

さようなら 僕のたった一人の恋人よ
さようなら しばしの別れだ
僕はふたたび戻ってくる 愛しい人よ
たとえ一万マイルのかなたからでも

(おとめ訳)


ロバート・バーンズは「蛍の光」の

作者だと言えばわかりやすいだろうか。

この詩は非常にシンプルなだけに

よけい果てしない愛の深さを感じる。。。


私があちら側に行くときは

夫も一万マイル、いやそれ以上のかなたから

迎えに来てくれるだろうか。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもアクセスありがとうございます。

みなさんに香りが届かないのが残念です。
posted by おとめ at 18:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌の世界

2017年05月24日

咲き始めた薔薇

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ベランダに真っ赤な薔薇が咲いた。

薔薇は鉢植えでも十分に咲いてくれる。


この薔薇は「クリムソン・グローリー」

1935年に作出されたドイツ薔薇。

作出者はコルデスという有名な人で

多くの薔薇を世に送り出した。


クリムソングローリーとは「深紅の栄光」

とでも訳せるかな?春の花なので「深紅」

というよりややローズがかっている。

この薔薇の本当の花色が出るのは秋だと思う。


そのかわり、素晴らしい香りがする。

「ダマスク香」といって昔の野ばらの香りを

そのまま受け継いでいちゃったりするのだ。


古くはクレオパトラの時代にも栽培されて

いたというのがそのダマスク薔薇だった。

それが十字軍によってヨーロッパへ持ち込まれ

他の中国やヨーロッパ、日本などの原種バラと

次々に混血されてさまざまな品種が生まれ

それが今日花屋さんに色々並んでいるバラ。


そういえばシュタイナーの瞑想に

「薔薇十字の瞑想」というのがあったな。

真っ赤な薔薇が7つ、真黒な十字架に

からみついているところを思い浮かべる

という瞑想で、ちょっと怖そうだから

やったことは無いしやる気もないけど。


私は薔薇が好きで好きで10代のころから

鉢植えで栽培してきたけど、今は匂いの強い品種

しか植えない。香りの無い薔薇は私には魅力が

ないな〜。お店で切り花として売られているのは

ほとんど無香なので自分で栽培できるのは最高に幸せだ。


寒い2月に大苗を通販で購入して、痛い腰を

さすりながら鉢植えにしたから可愛さもひとしお。


こちらの気候だと寒さで新芽が枯れてしまったり

ボーリング現象といって蕾が開かなくなったり

東京とは勝手が違ってさんざん苦労してしまった。

それでやっと真っ先に咲いてくれたのがこの

クリムソングローリー。


クレオパトラも好きだったダマスクの香りを

毎朝胸いっぱい吸い込んでセルフヒーリング。

薔薇の香りにはさまざまな効能があると言われる。

薔薇水は肌にもいいし、ハゲにも効くそうだ(笑)


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他の子達もぼちぼち咲き出した。



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今日もお読みいただきありがとうございます。

薔薇の香りに酔いしれています。
posted by おとめ at 20:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小さな花園

2017年05月23日

誕生日の怪

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まあ、いつものことだけど、妹の誕生日会の朝

またあれが起こったんだよね〜(^^;


今まで何度も起きたけど、こちらに来てからは

これが多分2回目かな〜。


今はバスルームに三本のタオルがかかっているけど

そのうち一本で体を洗っていて、ひょいっと

後ろを振り返ったらもうすでに2本落ちてた。


いつもなんの気配もなく気づいたら落ちてる

って感じで、毎日お風呂に入ってるわけだから

自分が触ったりしたらすぐわかるけど、全く

触ってもいないし、だいいち落ちやすいなら

もっとひんぱんに普段から落ちる筈なんだ。


目の前で手も触れないのに突然スルスル〜っと

すべり落ちたこともある。動きがすごく早い。


で、いつ、どのような時に落ちるかと言うと

何か大事な事とかがある時で、一番印象に

残っているのはまだ以前のマンションにいた時で

夫のお骨を持って、まず義妹と落ち会うため

パリへ向けていざ出発、というその朝だった。

まるでそれは「気を付けていってらっしゃい」

という夫からのメッセージみたいだった。


その時はそれだけでなく他にも凄い事が

あったんだけど。。。今は書けない。


あとは今の物件を見に来たときとか、何かを

決定した時とか、他にも色々あったけど

タオルがスルスル落ちるのは、思い出すと

些細な決め事の時とかもあったように思う。


でも途中から何故か「スピリット」というものへの

不信感みたいのが湧いてきた時期があって、

全部偶然だろうで片づけていた頃だったから

そういうのはもう忘れてしまったけど。。。


不思議なんだけど、引っ越ししてきたのも

まるで導きだったけど、今のバスルームの

湯船とかシャワーの配置が以前のマンションと

そっくりで、タオルかけもそっくり同じ位置にあるの。


別に色々なマンションから選んで入居した

わけじゃないし、条件の良い物件はこれしか

無かったの。もう選びようがないというか

否応なくここに来るしか無いという事態に

追い込まれてこうなったわけだから。

元々物件の少ない所なんだよね。


だからあっち側が「ここが連絡しやすいだろう」

とでも相談して決めたみたいな気さえする。

なんだかこれだけ色々起きると自分たちの存在を

教えているとしか思えない。。。それとも何かの

エネルギーがそこにあるのか。。。


あともっと気になるのはまだ親たちが健在で

親子一緒にマンションに暮らしていた頃、その時の

マンションに今の新しいマンションの間取りが

酷似しているということ。部屋数はもっとあったけど

部屋の配置や雰囲気がまるで同じ。まあマンションだから

そういう事はあるさ、って言われればそれまでだけど。


今回は多分私がこちらへ来て、始めてみんなで妹の

誕生日を祝う、ということをあちら側が喜んで、そばで

いつも応援してるよ、っていうメッセージかも知れない。


この次はどんな時に落ちるのかな〜

馬鹿げたことに思われるだろうけれど

今度からもう少しまた注意してみることにした。


他にもいろんなサインというか、神秘体験は

あるので、おいおい書いていきますね〜。

まだまだ研究中。


とりあえず今日は堅い事無しということで

世間話風にまとめてみました〜(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつも沢山アクセスありがとうございます。
あなたの不思議体験は何ですか?

Pさんメールありがとう。あとで返事しますね。

posted by おとめ at 19:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神秘体験

2017年05月22日

誕生日パーチー

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夫婦二人のツーショット撮りました。


数日前は妹の誕生日だったのでうちでパーチーをした。


ケンタッキーフライドチキンが食べたい

というので(笑)それを買ってきてもらい

オードブルやオープンサンドなどを

私が担当した。料理は下手の横好きww


スモークサーモンやゆで卵、生ハム、エビ

アボカドクリーム、カニのマヨネーズ和え

などなど好きな具をはさんで食べる。

パンは2種類用意した。


これ超お手軽でパーチーにおすすめ。

あとはそら豆のペルー風とか葉物サラダ

たこのカルパッチョ、塩豆腐のカプレーゼ

などなど、みんなあっという間にできる。


デザートはこれも旦那が買ってきてくれた

老舗マサムラのショートケーキ。あまりうまくて

写真撮らなかった。。。


料理をちょっとだけご紹介:

*そら豆のペルー風

そら豆を普通にゆでて、熱いうちに塩とガーリックパウダーをふる。
そら豆の匂いが消えておいしいです。

*塩豆腐のカプレーゼ

木綿豆腐のまわりに塩をまぶしつけて半日〜一晩おく。
その時ペーパータオルでくるんで水切りも兼ねる。

スライスして、トマトと交互に並べる。
オレガノ(またはバジル)塩コショウを振りバージンオイルを
かけまわす。あればブラックオリーブを飾る。

本当はモッツアレラチーズで作るんだけど、こっちの方が
ヘルシーで安上がり。塩豆腐はそのまま食べても
すごくおいしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日もお読みいただきありがとうございます。
ところで誕生日の朝、また不思議現象があったので
それは明日書きますね。
posted by おとめ at 19:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 愛する人達と

2017年05月21日

親子猫

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久しぶりに撮ったうちの猫たち。

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仲の悪い親子でいつもケンカばかりしてる二匹。

広く空いた距離が断絶を物語ってる(笑)
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だけどこうやって見るとやっぱり

かわいいな〜。(親バカ)

・・・・・・・・・・・・・・・

いつもアクセスありがとうございます。

たまには短くしようと思って(笑)


タグ:猫の親子
posted by おとめ at 23:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫なで声

2017年05月20日

足音

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母の死別後、妹夫婦はとても不思議な

体験をした。二人とも霊だとか魂とかには

全くと言っていいくらい無縁だった。


義弟はマジメが歩いているという風な

信州人らしい実直で優しい人柄。

口は貝のように固く、働き者だ。


妹は神経が少し疲れていてひきこもりがち

ではあるが、料理をしたり洗濯したり

日常生活に問題はなく優しい性格。


この二人が実に不可思議な事を言いだした。

まず妹だが、私が引っ越しして間もなくのことだ。


「リビングでアイロンをかけていたら、誰かが

廊下を走ってこっちへくる足音がした」という。

「それはもうはっきりと聞こえた」


「廊下を走ってこちらへくる足音」で思い出した。

地球の裏側の夫の故郷でも姪っ子が亡くなった時

別の都市にいるもう一人の姪が「廊下を小走りに

走ってくる足音」を聞いたのだ。軽くノックの音まで

聞こえたという。思わずドアを開けた。


妹もこの姪っ子と同じことをした。

もちろん、そこには誰もいなかった。。。。


「昨日もまた足音がしただよ。私がシャワーに

入っていたら廊下をだれかが小走りに来て

リビングへ入って行った」


それでリビングで会社が休みの長男が

TVでも見ているのかなと思ったそうだ。


でもリビングへ行ったら誰もいない。

二階に部屋のある長男に聞いたら階下には

全然行ってないと言う。


「でも確かにはっきり聞こえただよ。

ヘンだな〜。。。。」


そのような事は以前私も何度も経験したが

妹にとっては本当に不思議だったようだ。

そういえば妹は私の夫が亡くなった時

ドライヤーから声が聞こえる、という体験をした。


その足音は毎日のように聞こえたが、妹は

「きっとお母さんだね」と妙に納得して

ちっとも怖がっていないようだった。


私もそれを聞いて安心したが、どこかで

「私があまりにおばけのクラスのことや

霊界のことを話してきたから影響されちゃって

単なる思い過ごしじゃないのかな?」と

疑いの心もあったことはいなめない。


お母さんを亡くした悲しみが、魂の存在を

信じさせているのかも知れない、とさえ思った。


けれどもあまりにしょっちゅう「聞こえた」

と言うので私も見過ごせなくなった。

「今日は聞こえただ?」

「今日はまだだじ」という会話が日課だった(笑)


それが単なる妹の幻想や幻聴なんかではなさそう

というのがわかる事が起こった。


あの実直な旦那がある朝ねぼけまなこをこすって

「きのうは眠れなかった」と言って起きてきたという。


「どうしたの?」と聞くと「誰かがそこの

ソファに寝てたようで、寝息が聞こえたんだ」

「えっ?だって〇〇(息子)はちゃんと部屋に

寝てたよね?誰だろう?」という会話になり

二人とも狐につままれたようだったという。


旦那は長男がうたたねしたら風邪をひくと思い

起き上がってリビングまで見に行ったそうだ。


長男は毎日夜中まで働かされ、昼食の弁当さえ

食べられずに持ち帰ることがほぼ毎日続いている。

私はこちらに来てから地方で働く若者の

悲惨な状況を目のあたりにすることになった。


そこはけっこう大手の外資系自動車会社

なのだが、やってることは実に汚い。というのも

TVのニュースで「過労死」が取り上げられると

そういう日に限って早く社員を帰宅させるのだ。


その事は今は書かないけれど、ともかく

旦那が「リビングまで見に行った」という一言

は彼の言葉を100%信頼させるに値するだろう。


更に妹の証言は続いた。

「ダイニングテーブルの椅子をひく音がした」

そうこうしているうちに旦那の方も「寝息」を

何度か聞くハメになった。そんなことが数か月

の間に何度も繰り返し起きた。


私はしばらく考えていたけれど妹に言った。

「お墓参りに行くしかない。ずっと行ってないし

49日の時はろくにお墓を掃除していないもん。

お義母さんはお墓の掃除をいつも気にしていたよ」


それで遠出をずっとしていない妹の気持ちを汲んで

一人で行こうとも思ったが、意外な事に妹も

「私も行く」と言ってくれたのだ。


母親は慣れない土地に嫁に来て色んな苦労の末

繊細な神経をすり減らしてしまった妹のことを

とても心配していた。心残りだったのだろう。

夫を亡くして一人ぽっちの私のことも。。。


無事にお墓参りは済んで、とんぼ帰りだったけど

なんとかお墓を綺麗にし、お花やお酒をたむけた。


するとそれ以来ぴたりと全く何も起こらなくなった。

「やっぱりお母さんだったんだね」


じゃ、母親の死後、私は何も不思議なことを経験

しなかったのか、と聞かれるかも知れない。で、

私の答えは「もちろん凄いことがありましたよ」だ。

けれどもそれはあまりに凄すぎて書くのはためらう。

そこまで頭がおかしくなったか、と言われるのがオチ。

そのことについてはまたいつか。。。


「亡くなった人達はいつも私達を見ている。

けれども生きている私達が彼らの存在を思い

信じなければ彼らに私達が見えなくなってしまう。

何故ならすべてが思考による「想念」であり霊はその

世界にいて私達とつながるからだ。

私達の心にその「想念」がなければ何も伝わらない。」

とシュタイナーは言っている。更に:


「私達も死ねばすでに亡くなった人達に会うが

それはこちらの人生で縁のあった人たちに

限られる」と。

シュタイナーへの信頼感がだいぶ薄れている私だが

とりあえず救われる言葉だ。。。。。


しかし私はこうした体験そのものが

自我による幻想であることも知ってしまった。

魂の存続とは自我(エゴ)の存続なのだ。

それがわかっても人間はその夢から離れられない。

でもこれも御心の恩寵なのかも知れないな。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日もお読みいただきありがとうございます。
あなたも不思議体験したことありますか?






posted by おとめ at 21:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 神秘体験

2017年05月19日

大発見

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↓加筆しました。


ふだんは穏やかに過ごせているが

まだ死別後3年、悲しみの発作には

時々どうしようもなく襲われる。


それもあるがままなのだけれど。。。

そんな時は本当に不思議だけど

必ず助け舟が何らかの形で現れる。


その時の助け舟はシュタイナーだった。

「久しぶりに読んでみようかな」

シュタイナーからは見性体験後は全く

遠ざかっていた。彼にはどうしようもなく

うさん臭いところもあるからだ。

たとえば人種差別的であったことなど。


何気なくページを開くとそこには

驚くべきことが書かれていたのだ。

いつも思うんだけど、「導き」で書物

を開く時って必ずそのページがダイレクトに

開き、私が読むのを待っているのだ。

この時もそうだった。。。。。

なので素直にまた読み返してみた。


ここにその文章を引用しようと思う。

少し長いし人によっては難解で理解は

難しいかも知れないけれど、あとで

簡単な言葉で説明するつもりだ。


これは「神智学」という本にある

「死後の霊界における霊」という表題

の中にあった文章だ。


「いま霊となった人間は霊の形成する諸力を現実として体験する。
そこにいる思考存在の中には、彼自身の肉体的本性の思考内容
もまた存在する。人はこの肉体的本性から離れている自分を
感じる。霊的存在だけが自分に属すると感じられる。そして
自分の遺体をもはや物質としてではなく、記憶の中でのように、
思考存在として見るとき、その遺体は明らかにすでに外界に
属するものとして目の前に現れる。人は自分の肉体を外界の
一部分として、外界に属する或る物として、考察することを学ぶ。
もはや、自分の体的本性を、自分の自我に親和したものとは考えず、
したがってそれを他の外界から区別しようとはしなくなる。
外界全体の中に、自分がこの世で受けてきた身体をも含めて、
ひとつの統一性を感じるようになる。自分の受けてきた体も、
周囲の世界と一つに融合するのである。このように、物質的、
身体的現実の諸現像を、自らもそれに属していた統一体として
観ることによって、人は環境と自分との親和と統一を次第に
学び取る。人は自分に向って今ここでお前のまわりにひろがって
いるものは、かつてはお前自身であったのだ、ということを学ぶ。」
(高橋巌訳)


つまり、ここに書かれていることは禅や

アドバイタで言われている「悟り」(見性)

や覚醒体験そのものなのだ。自分という物質体

が無くなり、自分が外界と一つであったと気づく。

ただ一つの命だけがある、という事に目覚める。

それは私も経験したことだった。


さらにシュタイナーはこう書いている:

「しかし、こういうとき、それは古代インドのヴェーダンタの叡智の
根本思想のひとつを語ったことになる。『賢者』はすでにこの世の
生活の中で、他の者が死後体験するところのものを、即ち自分自身
が一切万物と同質のものだという思想を、『これは汝に他ならない』
という思想を、自分のものにしているのである。この思想は地上生活
においては思考生活の努力目標であるが、『霊たちの世界』において
は、霊的経験を通してますます明瞭になるひとつの直接的事実なので
ある。」(高橋巌訳)


なんのことはない、シュタイナーは断食だとか

辛い修行や座禅などしなくても、みんな死ねば

一人の例外もなく悟れるんだよ、と言っているのだ。


「インドのヴェーダンタ」とはアドバイタのことだ。

これは凄い。私はもちろん『賢者』どころか

「凡人」ということさえおこがましいような人間

だけれど、その世界をちらっと垣間見た。(見性)


何故私のようなものがロクな修行もなく、一瞥が

できたのかというと、そこには死別の「深い絶望」が

あったからだった。その時自分のすべてを捨て

生ける屍(しかばね)状態だったことはすでに書いた。

つまり一度死んだ状態だったといえる。


禅の修行などで座禅をやったりすることで

「我」というものを取っていくが、それも生きた

状態で死を経験することに似ている。何故なら

「死」というのは自分に属するすべてを捨てる

ことと同じことだからだ。従って禅の修行者は

家やモノや金や家族などの執着を捨てるのだ。

「悟り」というものを得るために。


私ははじめっから悟りなんて欲しいと思った

ことは無いけれど、このシュタイナーの文章は

別の意味で私を救ったのだ。それは「霊」や「魂」

を信じることが禅やアドバイタと全く矛盾は

しないかも知れない、という可能性(あくまでも

可能性だけど)が出て来たからだった。


何故なら私は「今の所」シュタイナーという人物

のある部分は少なくとも信じているからでそれは、

現在に至る霊媒主義や「スピリチュアリズム」を

広めていった他の誰よりも、彼のみが「科学的に」

真の霊魂の世界を解き明かしたと思っているからだ。


けれどもそれは私が全面的にシュタイナーに傾倒

していくことを意味しない。ただ魂の存在と

悟りの世界を一つに語った人間がいたという事が

嬉しかった。


禅やアドバイタではどういうわけか「魂」の存在

に対しての素朴な疑問を抱く人間を煙に巻く。

そういうものはほっておきなさい、と言われる。


私はそこがどうしても納得できなかったのだ。

確かに不思議な出来事は起こる。それは

「現象」として「幻想」とも言われる。

けれども確かにそこに存在するものなのだ。

それでずいぶん苦しんでいたのだった。


何故なら死別したものにとって、魂の存在を

信じることは立ち直りに不可欠だということを

どうしても頭から消し去ることができなかったから。


色々グレーゾーンもある「守護霊」とか「霊界」

「霊媒行為」といった事はひとまず置いておいて

「魂」や「霊」の存在だけはどうしても否定は

できなかったし、したくなかったのだ。


ちなみにシュタイナーは霊媒によって死者からの

メッセージを言葉で聞くことは不可能としている。

何故なら死者は言葉というものはどんどん忘れて

別の手段で伝達してくるからだという。そして

どうやったら死者とコンタクトがとれるかを

色々書いている。


そして当時の霊媒現象や交霊会などを批判している。

霊媒が伝える事は霊媒自身の中にある「潜在意識」

に過ぎないと。これは現在のミディアムには

あてはまらないかもしれないが、今でも彼らは

せいぜい必ず60%しか当たらない、と念をおす。

「せいぜい」、という事はほとんど当たらないことも

珍しくないということだ。その逆もしかりだろう。


話がだいぶそれてしまった。テーマを前にもどすと、

なんのことはない、死ねば悟れるんなら、今から

悟り、悟り、と騒いでいる輩が馬鹿みたいだよね。


「一瞥体験」(見性)をしたからって、それで

「非二元」というかいま見たものを「商品化」して

金儲けしたり聖人きどりになってる人も一杯いる

みたいだけど本当に浅はかだと思う。


せっかく覚醒したのなら、そういう人たちにこそ

早く目を覚まして、ただの人になってほしい。


この世は楽しみ、苦しみ、悲しみを味わうために

あるんで、そこから逃げようと悟りを求めたり

するよりも、神が与えてくれたすべての経験を

していくことこそ人のやるべき事という気がする。

つまり当たり前の暮らしをしていくこと。

与えられた試練をありがたく受けること。


ちなみにシュタイナーの本筋は霊や魂の世界を

どのようにしたら見たり感じたりできるように

なるかの「道」を教えたことだ。ただしそれは

とても険しく厳しい道だ。「我」=「エゴ」を

徹底的に磨いていく。ひたすら他の為に生きる。

などなどの修行があって、それを生半可にやると

危険なことになると言っている。精神鍛錬が

きちんとできずに霊界とつながることを急ぐことを

シュタイナーは強く警告している。ぼんやりして怪我を

したり、精神疾患になることもあるそうだ。


けれども彼の言う「修行」は私はもうしない。彼の

教えにはあまりに現実離れしたところもあるから。


長くなってしまうから、その事はまたあとで。

そんなわけでまたもや導きによって救われて

心はすがすがしさと感謝で一杯になった。


長い長い放浪に出ていたような気がする。

禅やアドバイタで「一つであること」は

充分に納得した。もうお腹が一杯だ(笑)

基本はそれで日々を穏やかに過ごしていく。


そしてまたこれから元の家にもどって、

ゆっくりと夫のいる世界を探索していこうと思う。

そしてそれはそのうちに私が行く世界でもある。。。

・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんのアクセスいつもありがとうございます。

これでひとまず長い葛藤は終わりました。






posted by おとめ at 20:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | シュタイナー

2017年05月18日

年をとったら

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西洋のおばあちゃんの足。私のではありません。念のため(笑)



年をとったら (W.B.イエイツ)


年とって髪は灰色になり暖炉のそばでうつらうつら

居眠りしてるなら、この本を手に取ってみるといい

そしてゆっくり読みながら思い出してみよう

若き日の自分の優しげな瞳、その影の深さを


どんなに沢山の男たちがその優雅な物腰を愛しただろう

その美しさを愛しただろう、真心にせよ偽りにせよ。

けれどもその移ろいゆく心、老けゆく顔に浮かぶ悲しさ

それを愛してくれたのはただ一人の男だけだった。


赤々と燃える薪のそばに身をかがめながらちょっぴり

悲し気に呟いてみるといい。愛は飛び去ってしまい

かなたの山々の向こう、星屑の彼方へ

もう消え去ってしまったと。

(おとめ訳)



When you are old and grey and full of sleep, 
And nodding by the fire, take down this book, 
And slowly read, and dream of the soft look 
Your eyes had once, and of their shadows deep; 

How many loved your moments of glad grace, 
And loved your beauty with love false or true, 
But one man loved the pilgrim soul in you, 
And loved the sorrows of your changing face; 

And bending down beside the glowing bars, 
Murmur, a little sadly, how Love fled 
And paced upon the mountains overhead 
And hid his face amid a crowd of stars. 


このおばあさんは最後は悲し気につぶやいています。

「愛は飛び去ってしまった」と。

だからおばあさんに言ってあげましょう。


「いいえ、違います。

愛はそこにあります。あるんです。

愛がある限りあなたは大丈夫なんです。


禅坊主やクリシュナムルティが何を言おうと

スピリチュアリズムがあろうと無かろうと

そんなことは本当はどうでもいいんです。

私もわかっていながら書いているんです。


どんな聖人であろうと、仏陀であろうと

本当に愛した事のない人にはわかりません。

キリストが何を言ったか知りませんが

そんなのは気にすることはありません。


あなたの愛が真実であるならば

エゴの濾過されたあとの透明な滓で

その愛の燃えさしをまだまだ赤々と

ふたたび燃え上がらせることはできます。


その愛は変わらずあなたを癒しなぐさめ

不安や苦しみを拭い去ってくれるでしょう。


そしてその愛でみんなを照らしましょう。

暖炉のように。。。最後まで。。。


そこにはいつだって「存在」がいます。。。。」

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W.B.イエイツはアイルランドの詩人です。
下手な翻訳ですみません。
この詩を読むと何故か泣けてきます。。。


posted by おとめ at 12:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 詩歌の世界

2017年05月17日

テレパシー

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テレパシーというのはある。

それはある種の見えないエネルギー。


たとえば私と妹はそれで繋がっている。

彼女がメールした同じ時間に

私も彼女にメールしている。

それが毎日起こっていること。


たとえば、明日引っ越しという日に突然

私は得体の知れない不安にかられた。

車の事故がある、という気がした。

折しもペットのために猫タクシーをチャーター

それで行く心づもりをしていた所だった。


背骨を圧迫骨折している体で5キロの猫を

二匹キャリーバッグに入れ、電車で出発など

到底できない相談だった。


それで、高額だったけど、ペットタクシー

を予約したのだった。けれども次第に

不安がつのっていき、打ち消そうとしても

「大丈夫かな?」という思いが心の隅から

消え去らないままタクシーに乗り込んだ。

忙しくてキャンセルするヒマもなかったから。


そのまま東京を出発したタクシーは走り

無事に目的地、妹の家に着いた。

一晩そこで泊まることになっていた。


玄関に入ると妹の靴や旦那の靴が

泥まみれになっていた。

「どうしたの?」と私は聞いた。すると

なんと私が来る前日交通事故に遭ったのだ

と言う。「心配するから黙っていたよ」と。


信号無視の常習犯にぶつけられたのだ。

車はへこみ、ヘッドライトは粉々になり

車体は田んぼに落ちておまけに

電柱にぶつかって止まった。

死亡事故になるところだったのに

二人はかすり傷で済んだのだった。


ぶつけられた瞬間二人の頭に浮かんだのは

「明日お姉さんが来るのにどうしよう?」

だったそうだ(笑)


一か月前に亡くなった母が守ってくれた

皆がそう言っていた。


別に不思議でもなんでもない。

見えないけれどそこにある。


特に愛する者同士の間でそれはある。

母と息子や娘、恋人同士、夫と妻。。。

もっともアンテナにもよるけどね(笑)


かつてある人とつながっていた。

彼女の心は白いデイジーのようだった。

私は彼女を深く尊敬していた。

どんぐりの背比べの世界で

彼女だけは本物だった。


けれどもある「システム」が彼女の才能

彼女の愛、彼女の魂を腐敗させ、さらに

私自身も腐敗していくだろう。。。

そんな予感がして私は彼女から去った。


とても悲しかった。

私が泣きながらメールをした時

彼女も泣きながら返事をくれた。。。


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いつもアクセスありがとうございます。

あなたもなにかしらこんな経験ありませんか?
posted by おとめ at 20:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 神秘体験