2018年05月10日

ゴールデンウイークの怪

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奈良井は何度行っても好き♬


ゴールデンウイークにPちゃんがきたので

また大好きな奈良井へ行きました。


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巨峰ソフト。絶対おすすめです。


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きびだんご、生まれて初めて食べた。おいしい!


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長生きの妙薬、天然のミネラルウオーターも飲みました。


んでね・・・

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カフェで話してる時なんですけど、


ふと旅行の話になって、「今度はプロバンスへ行こ!」

とか話してたんだけど、「ハワイもいいね」

って私が行ったらPちゃんも「うん、あれも

馬鹿にしたもんでもないよ。」って言ったその時!


突然、私の目の前に真っ赤な溶岩が噴出する映像が

何の理由もなく浮かんだんです。

それが住宅地にドロドロと流れていく様子まで

見えてきてちょっと怖くなったんです。


そう言えばハワイは火山島だな〜と思い、

でもまさか、あんなに観光客が行ってるから

安全だよ、と妙に自分を納得させました。

それが2日のことでした。


その次の日です。

ハワイの火山爆発のニュースがあったのは。

ああ、またか、と思いました。


どうしてでしょうね。

予知夢とかもよく見ますが、空間の何かしらの

エネルギーをキャッチしちゃうのかな〜と・・・

きっとなんらかの理由があるのでしょう。


まあ、後出しですから、信じてくれなくても

いいんですけど(笑)


被害がこれ以上拡大しない事を祈るばかりです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
久しぶりに更新できました〜。

ありがとうございます。


posted by おとめ at 15:03 | Comment(0) | 神秘体験

2018年04月28日

UFOと田口ランディさんの本 つづき

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芝桜がこれでもかと咲いてます♪

(以下加筆しました)


ゴールデンウイークですね〜!

お友達やご家族と楽しい計画がある方にも

また全然そうでない方にも、初夏の太陽は

すべての人にふりそそいでくれます・・・


さて、先日途中だった田口さんの本ですが。

UFOやユリゲラー(レトロ?)などの

超能力や超常現象が一杯のこの著書の中で

私が一番感動したのが、UFOを見てウン十年

という旧満州からの引揚者の方のお話でした。


日本が敗戦し、満州にいた日本人の誰もが

命からがら日本へ引き揚げてきましたが

その時親とはぐれるなり、親が死亡などして

中国に残ってしまったのが残留孤児の人達です。


この仮にSさんとしますが、Sさんもあやうく

残留孤児になりそこなった一人でした。

その時親とはぐれた子供だけのグループが

あちこちにいたというのが驚きです。


Sさんもその中の一人でした。

そして飢え死にする一歩手前の状態の時に

他の子供たちと一緒にUFOを見ます。


まさに命が風前のともしびである状態の時

大きなUFOを頭上に見たというのです。


彼の体験はUFOの事より、いかにして生きて

日本へ帰り、ふたたび母親の懐に飛び込んだのか

そっちの方が胸をしめつけ感動を誘います。

そのあたり田口さんの筆力がモノを言ってます。


けれども今私が書きたいのはその事ではなく

彼がUFOを見たその時もやはり「変性意識」の

状態にあったのではないか、という事です。


彼はその後成人してからも会社の人達とUFOを

目撃したりそういった体験が続きます。


そこで問われるのが変性意識は数人のグループでも

起こるのか、ということですが、私は起こるのでは

と思っています。


そうしたUFO目撃談や神秘体験、超常現象、

霊を見たとか、幽体離脱したとか、そうしたことは

あきらかに起こるのであり、否定はできません。


けれど、忘れてならないのはそれはすべて「自我」の

体験に過ぎないという事です。


つまり心と体と記憶でできていて、世間一般で

あたりまえに言われているこの「私」の体験です。


UFOを見ようと、守護霊に会おうと、それは

おいしいラーメンを食べた、という体験と同じです。


この体と心が味わう体験に過ぎません。

ですから、覚醒体験とか私もしましたが、それは

別に驚くことでも特別な事でもなく、ひょっとしたら

その時の体調や脳の状態による「変性意識」がもたらす

単なる生理現象かも知れない、とさえ思います。


逆にもっともキケンな事、避けた方がいいことは

そうした経験をした「私」や「誰か」を特別な存在である、

と思い込むことです。


人は超能力者に憧れ、スピリチュアルな指導者を崇め

神を作り出して祈り、優秀な霊媒や預言者のように

自分もなりたい、と思ったりします。


なぜなら自分がそうした能力をもてば、「今」の

自分の苦しみから解放され、新しく、素晴らしい

別の自分になれるだろうと思うからです。


意外な事にこの田口さんもその一人なのでした。

彼女は最後まで望む通りの神秘体験ができなかったと

悔やんでおられます。


けれども、真実を言わせていただければ、超能力を

求めるそうした行為こそが間違いの大元であり

すべての不幸の根源であるのです。


なぜなら、それは「私」という自我を強めるだけであり、

「今」というなにより大事なものを逃すことだからです。


別の言葉で言えば、奇跡や超常現象を求めるまでもなく

私たち一人一人がすでに奇跡であるからです。

ただ心臓が動いていること、ただ息をしていること、

そのことがすでに奇跡です。


人を感動させる文章を書ける能力があるにもかかわらず

何故田口さんは超能力を求めているのか、私には

わかる気がしますが、そのままで田口さんはパーフェクト

なのにな〜と思います。


しかしつぎのランディさんの言葉はさすがです。

「私たちは意識によって構造化されたものだけを認識し

その小さな箱庭で生きているのだ」


つまり私たちが見る、この現実というのは、決して

ありのままの真実ではありえず、なんらかの先入観や

それまでの経験や知識、思い込みに汚染されている、

ということです。


それを逆に言うと、社会的な常識や思い込みを捨て

まっさらな意識状態、つまり悟りの状態にある時にのみ

ありのままの世界が出現するのでは?ということです。


それはランディさんのようにマジックマッシュルームや

薬物などの力を借りた時に、そうした状態になったり

ということもありうるのでしょう。


そしてランディさんはその覚醒状態を保てない人間は

物事のあるがままを体験できず不幸のままでいること、

実際の自分というものは本当は自由そのものじゃないか

ということに気づくのです。


それは既成概念や過去などの時間に支配されない

あの目覚めた本当の自分でいることなのです。


人は気づいていなくても目覚めていなくても

一人一人が本当は完璧な世界にいるのです。

ただそれに気づかないだけ。


そして暖かい光の中であくびをしているネコや

連休だというのに悲しい気持ちで一杯のどこかの

あなたも、あるいは、楽しい計画で一杯のあなたも、

そのまま、今のままで完全無欠なのです。


UFOや超能力は軽いエンターテインメント、面白い

TVを見たな〜てな感じと同じじゃないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日もお読みいただきありがとうございます。

さて、どこかへ出かけるかな・・・


















posted by おとめ at 09:56 | Comment(0) | 神秘体験

2018年04月18日

UFOと田口ランディさんの本

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見えるでしょうか?


これ見たのはもう何か月も前なんですけど。

山の上にある禅寺まで片道一時間の散歩をして

日も暮れかかっていたので帰り道を急いでいる時でした。


ふと空を見るとこれが飛んでいたんです。

まあ、いわゆるUFOってやつですけどね。

近くにいた高校生らしい男の子たちも一緒に見ました。


UFOならこれまで何度か見ているし、今更

おもしろくもなんともないのでふ〜ん、っていう

感じだったんです。その時は・・・

だからブログにも書きませんでした。


それに私が今回見たこいつはなんだか動きがスローで

よくあるUFOみたいに、カッコいい動きじゃないし、

なんだかくたびれた人工衛星の残骸じゃないかな〜とか

ただの流れ星じゃないの?とか思っていました。


でもなんとなく気にはなったので、写真だけは撮りました。

今思うと動画にしときゃよかったんですけど。


ところがね、数日後ネットを見ていたら、偶然

こんな映像を見たんですよ↓


動きかたもスピードも私が見たのと全く同じなんです。


この画像についての解説はこちらのサイトにあります。

エンジェルだとかって騒いでますけど(笑)


上記サイトではもっと画像が鮮明で先端に円盤が見えますが

私の見たのも先端に丸いものが見えました。

でも色も動き方もすべて目撃したのと全く同じです。


これ何だったんでしょうね。

何かご存知の方はぜひ教えて下さいね。


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これは私の画像ですけど、先端の円盤部分が見えるかな〜。


まあ、UFO自体は別にどうってことない話なんですが、

それがね、田口ランディさんの「アルカナシカ」

という本を読んで、ちょっと思う所がありましたので

これから少しまた書いてみようかな、と思ったわけです。


もうUFOや霊の話とかはあきたな〜、という感じの私に

youtubeで武田鉄矢さんが田口ランディさんの本が

面白いってしきりに言っていたもので、(あの人は

本当に口が達者ですね)ついその気になって読んだら、

これがもう面白くて夜も眠れません。


なにが面白いって、この本に書かれてるUFO話とか

ユリゲラーの話よりも、田口さんご自身のご経験が、

私の覚醒体験とそっくりだったからです。


それは田口さんがどうしても神秘体験をしたくて

知り合いの方の「つて」でメキシコへ行き、そこで

霊能者から「マジックマッシュルーム」なるものを

20個ほども食べてからある幻覚体験をするんですが、

その時の様子を細かく書かれているんです。


田口さんはせっせとマッシュルームを食べます。

食べた初めは期待したほどではなく、少しがっかりし

自分はやっぱりそういう体質ではないのか〜と思います。


そしてトイレへ行きたくなり、トイレは家の外なので

外へ出ました。変容はその瞬間に起こります。


すべてが月の光に照らされていたのですが

その月光がまるで本物の質感のある「青いベール」

に見えたというのです。


そして昼間下見をしていたトイレですが、そのあまりの

汚さに、そこへ座るためには「覚悟」が必要だったほどの

そのトイレへ入ります。


そのトイレは昼間見たものとは激変していました。

なんと神々しさに溢れていて、それがどれほどかというと

汚物にまみれた便器に顔をつっこんで洗う事もできただろう、

とまで書いているのです。


私の場合も世間では「汚い」とされるものがまさに神の光で

輝いているのを見ました。


だから田口さんの経験が本当によくわかるのです。

けれども私はマジックマッシュルームも食べてないし

LSDはもちろんマリワナも、いわゆる合法ドラッグも

その他の「ぶっとぶ」為のクスリは未経験です。


では私と田口さんの共通点はどこにあるのでしょうか。

私はそれは「変性意識」だと思います。


座禅を組んでいるとUFOが見えるという人もいますが

座禅によってもそういった変性意識状態になることは

充分考えられることではないでしょうか。


私は当時座禅ではなく瞑想をしていました。

けれども覚醒体験のその時はただぼ〜っとしていただけで

心身共にリラックスしている状態でした。


このマジックマッシュルームというのは食べた人の

美醜に対する判断を鈍らせるという説もあるそうです。


ランディさんはこの本の中でさまざまな興味深いことを

沢山書いておられます。


それについての続きはまたあとで書くことにしますので

ご興味ありましたら覗いてみてくださいね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日もご訪問ありがとうございます。

















posted by おとめ at 08:29 | Comment(0) | 神秘体験

2018年04月13日

四年目

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遅咲きの桜もやっと満開です。



もうすぐ夫が亡くなって4年目の命日・・・

あの頃東京では桜の散る中、最後の入院をし

ほどなく帰らぬ人となりました。


4年間どうやって生きてきたのか

無我夢中でしたが・・・・・


悲しみはまだ依然としてうろついていますが

今の私はその悲しみが「今」には無いことを

よく知っています。


それはいつもこの個人としての私のエゴが

「過去」を思う時にのみやってきます。


ですからふと嘆き悲しんでいる自分に気づくと

すぐに過去(それはいつも脳内の幻想に

過ぎません)から離れます。


そして現在のこの瞬間を見つめます。

すると夫は相も変わらずそこにいてくれて

私には計り知れない、「存在」となって

一緒に生活しているのです。


夫の現在のこの状態を、禅風に「無字」

と呼ぼうが、スピリチュアリズム風に

「魂」や「霊」「スピリット」と呼ぼうが、

はたまたロジャー・ペンローズ風に「意識」

と呼ぼうがたいした問題ではありません。


重要なのは夫の「存在」が無くなってしまった

のではないこと、今も、これからも常に私と

一緒にありつづけるのだ、という事です。


世界中の宗教や最先端の科学がその事実を

何千年も前から現在に至るまで言っています。

ですが、私はそうしたことを「信じる」のではなく

どこかで「知っている」のです。


クリシュナムルティという人は弟のニティアを

20代の若さで亡くしました。


彼の母代わりでもあり、弟子でもあった女性の娘で、

幼い頃から彼のそばにいたメアリー・ルティエンスの

伝記によれば、彼と弟は一心同体だったようです。


にもかかわらず、晩年のクリシュナムルティは

自分に最愛の弟がいたことすら忘れていました。


それほどクリシュナムルティという人は

過去を捨て切れていたのです。


私は個人的には過去を捨てたいとも思いませんし

きのう何を食べたかも思い出せないようなこの

しごく出来の悪い自分の脳みそが思い出した

過去の記憶がよみがえるままにしておきます。


そしてすぐにその事に気づき、単純にその

夢想の「状態」にある自分を捨てます。


修行の未熟な私にはクリシュナムルティのように

過去をすべて捨て去ることはできないからです。


常に自分の状態を観察し、気づくことしか

今はできません。そしてそれでいいと思います。


一見薄情に見えるクリシュナムルティも

弟を亡くしたばかりの時は悲嘆の絶頂にあり

周囲の人もそれを見ていました。


けれどもすぐに彼は回復し、こう書き残しています。

「彼は私の中で生きている」


その言葉通りニティアを亡くしてからの彼は

別人となって不死鳥のようによみがえりました。


私個人について言えば、クリシュナムルティ

ほどではないにしても、日常困っている時や

どうしようもなく打ちひしがれている時に

必ずなんらかの助けがあります。


それは死別後、生きる屍のようだった私を

なんとか生かしてくれようとしてきたし、

今でも生かして動かし、食べさせ、仕事をさせ、

時には笑わせてくれる、エネルギーなのです。


そして、この記事を読んで下さる方の中にも

同じような経験をしていらっしゃる方がきっと

必ずいる、という事が私の大きな支えでもあります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもご訪問ありがとうございます。









posted by おとめ at 10:16 | Comment(2) | 悲しみについて

2018年03月29日

信州式グリーフケア

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こちらの街中はマンホールの蓋も可愛いです



だいぶ前のことになりますが、市の広報で

「死別の悲しみを分かち合う会」というのを見ました。

女性限定ですが、こちらではめずらしい会でした。


自分はすでに悲しみの処理法はできあがったので

自分が慰められようとは思いませんが、もしかしたら

以前の私のように苦しみのさ中にいる人がいるかも、

と思ってふと行ってみる気になりました。


行くまでの道々私は東京での悲しみと涙にくれた

あのグリーフケアの初日のことを思い出していました。


会場へ行って見たら、私よりだいぶご年配?の

お姉さまたちが、いそいそとお茶を入れたり

お菓子をお皿に盛ったりと働いておられました。


ふと「敬老会かな?」という思いが頭をよぎり(笑)

入るのをためらっていると、「どうぞ、どうぞ」と

暖かくやさしいお招きが・・・


招かれるままに部屋に入ると、漬物なども

出されています。こちらではお茶の時間に

お菓子より漬物を食べる習慣があるのです。


なんともアットホームな雰囲気です。

勧められるままにお茶を飲んだり、お菓子を食べ

順番に自己紹介が始まりました。


まず先輩のお姉さま方が次々と身の上話を始められ

東京でのグリーフケアとは全く違う流れでした。


東京ではまず自己紹介と、愛する人を喪った

心の苦しみを参加者全員が一人一人順番に

みんなの前で吐き出します。


それで当然涙、涙、になるのですが・・・

それもカタルシスとしては良い方法でした。


こちらではまずすでに悲しみから立ち直っている

お姉さま方のお話でだいぶ心が落ち着きます。


その話たるやハンパないご苦労のお話でした。

ある方は昭和30年代に子供さんを三人かかえて

夫に先立たれ壮絶な苦しみから立ち直られました。


その頃20代という事は今一体おいくつ?

私の少ない脳みそが計算機と化します(笑)


ほとんどの方がご主人を亡くされた時まだ

20〜30代だったようです。

その頃はグリーフケアのグの字もなかった時代。

ご苦労は想像するに余りあり過ぎます。


現在ガンと戦っている方もおられました。

一番ユーモアのある方でした。


淡々と、ときどきうっすら涙を交えて話すお姉さま方・・・

聞いているうちに心はなごんでいきました。


苦労がすべてやさしさに変わっている・・・

そんな人たちでした。


新しく参加したのは私を含めて3人、みんな

先輩がたよりだいぶ若いです。

亡くなったばかりの方もいましたが、不思議に

東京での会ほど涙が見られませんでした。


信州の女性は強いのかな〜とも思いましたが、

どうやらそれだけではなさそうです。


年に数回しかない会だそうですが、みなさん

長年にわたって参加されているそうです。


参加費用は100円。

それも「申し訳ありませんねえ〜」といって

受け取られるのです。


あんなに沢山お菓子をいただいたのに・・・

なんだかこちらこそ申し訳なくなりました。


東京でのグリーフケアもボランティアで

とても素晴らしいものでした。

本当にお世話になったのです。


けれどもせっかく知り合った方々とも

引っ越しで離ればなれになってしまいました。


けれど、この会になんとなく惹かれて参加し

それも多分何かの導きだったとは思います。


何故ならなんと私の住まいのすぐご近所の方もいて、

こちらでもやっと新しいお友達ができたからです。

それも一度にたくさん!


先日はそんなお姉さまの一人が早速安曇野へ

ドライブに連れて行ってくれました。


本当に人生は驚きの連続です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもご訪問ありがとうございます。












posted by おとめ at 08:19 | Comment(0) | 愛する人達と

2018年03月23日

目覚めの変化

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東京では珍しくなったレトロなポスト見ました。



更新がまたちょっととだえました。

これまで長々と書いてまいりましたが・・・


なんだか同じことの繰り返しでして、

まあ、それもまた良い事なのでしょうが。


でも、思いのほかアクセスが多いので、当初は

一人でも読んで下さる方がいればと思っていたので

そこは想定外だったわけなのですが。


でもまあ、何言ってんだかさっぱりわからない、

という人がほとんどだとは思います。(笑)


いえ、わかってなくてもちろん全然OKなんです。

その方がそのままで幸せであるならば。


その場合には私の書いていることなんか、うちの

ミミちゃんのイビキのようなものだと思って下さい。


けれども、実にわかる、うん、よくわかる、

というひとも必ずいるということもわかるし、

今わからなくても、ひょんなことである日

突然「わかったぞ〜!」と言ってお風呂から

そのまま飛び出てくる人もいる、という可能性が

ゼロではないのでこうして書き続けているわけです。


その時にはくれぐれもお風邪をひかないように

気を付けて下さいね。


目覚めてしまってから仕事への意欲とか、将来への

夢とか希望とかがまったく無くなってしまって

はたから見るとほとんどゼツボー的な状態でして、

自分でもゼツボー的だとどこかでは思っているのに

それでもなんだか楽しくてたまらない、という日々を

過ごしてきました。


なんとなく目覚めの喜びの中で有頂天になっていて

浮足立っていたのかも知れません。


それがこのところ微妙に変化しつつあります。

私はモノづくりを仕事にしてますが、まあモノ

といっても大したもんじゃありません。


そうした創造への意欲も目覚めと一緒にどこかへ

永久にさようなら、をしたと思ったのですが、

それがまたこのところ復活してきました。


それでせっせと色々創作してまして、ブログも

このところおろそかになっていたわけです。


ただ、以前と違うのは「結果」とか「評価」を

全く気にしなくなっているので、すごく気持ち的に

ラクだし、純粋に創作を楽しんでいる感じです。


主人がいなくて寂しいし、悲しいのはそのまま

味わっていますが、それも作品作りをしている時は

全く感情が消え去るようになってきました。


「自分」が作っている、という感覚ではなくて

作りたい「衝動」があるだけだからです。


今まではその創作意欲そのものがなくなってしまい

感情だけがあったのでこれは画期的な事です。


また夫とどこかで会えるのを楽しみに、それまでは

あるがままにやっていこうかな、と思います。


なんとなく生活全般も目覚めの前の状態に

戻りつつあるような気がします。


ただ、もちろん、内面的には全く以前とは

違うのは確かです・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもアクセスありがとうございます。















posted by おとめ at 07:47 | Comment(0) | そのまんまの日々

2018年03月11日

神意識について(19)「春の小川のように」

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やっと春の気配・・・


災難にあう時は災難にあうのがよき候

これが災難をまぬがるる妙法なり

(良寛)



やっと最終回です(笑)

これ以上書いてもまた同じことの繰り返しで

真実はそれほどに単純なものなのです。


神意識=真我、宇宙、本来の面目、基底、場

大いなる自己、スペース、スピリット、梵

ブラフマン、宇宙原理、本当の自己、神・・・


どの名で呼ぼうとすべて同じです。

人がこれと共にある限り、形ある自分は

形ない自分に融け去り、すべての苦しみは

なくなります。


自分自身もだいぶ苦しんだあげくに、やっと

私はある唯一の救いの真理を見つけました。


それは般若の力です。


そしてそれは私たち一人一人が確実に自分の

深い所に生まれつき所有しているものです。

お金も何もかかりません。


むしろお金の無いことを楽しむ心でしょうか。

どんなに「これはひどい。なんとかしなきゃ」と

エゴが叫ぶような状況にあっても大丈夫です。


あなたが神意識でいる限り、いつも平安です。

それが禅で言う「日々是好日」(にちにち

これこうにち)という意味なのです。


これは決して「今日もいい天気で何事もなくて

よかったね〜」などという超ノーテンキな

ポジティブシンキングではありません(笑)


どんなことが起きようと平然としていて、

あるいはひたすらあるがままにそこにいて、

すべてを宇宙にゆだねる心です。


いじわるな隣人にバチンバチン殴られても

じっとうつむいていた虔十のような心です。



それは才市のように他力であろうと、あるいは

またクリシュナムルティのような観察であろうと

入口はどちらでも大丈夫です。


「神意識」の「自分」が個人の「自分」を

間違いなく救います。


あなたは絶対に大丈夫なのですよ。

どんなに今苦しんでいようと・・・

とんなに今ひどい目に遭っていようと・・・


何故なら一人一人がもともと神様だからです。

あなたの中にいる神様があなたを救います。


何も望まない、からっぽの心に神様が宿ります。

どうしたらそんな心になれるのでしょうか。


それにはいつも「無防備」でいることです。

自分を守らない事です。


神さまが自分を守ったりするでしょうか。

あなたはそのまま何も手を加える必要がない

完全無欠、完璧な存在なのです。


流れる小川のようにさらさらと生きることです。

何も拒まず、何にも執着せず、ただのそのまま、

野の花のようにただそこにあるだけ。


自分を肩書や経歴や外見や財産や特技などで

ガードせず、そのままにとどまることです。


守るべき「自分」などどこにもいない、と

はっきり認識することです。


目覚めることによって自分がいないことが

はっきりわかりますが、悟りに至らなくても

心で理解してもいいんです。


それは全然むずかしいことではありません。

時間とは関係ありません。今、すぐできます。


これですべてが解決するのです。

悲しみ、苦しみ、悩み、いじめ、対人関係

金銭問題、その他ありとあらゆることが・・・


それは授業料を払って習うようなことじゃなく

どこかへ探しに行くようなものでもありません。

難しい「修行」など必要ないです。


いま、この瞬間、手に入るものです。

それがあなたを幸せにします。

そしてすべての人を、世界を幸せにするのです。


それが「あるがまま」に生きるという事です。

それは「わがまま」ではありません。

ここが大事です。


それは自分を過去や未来の幻想の中に置かず

現在の「あるがまま」の自分を愛することであり

同時に人の「あるがまま」も尊重することです。


別の言葉で言えば「個人」としての自分を捨て

神意識そのものになることです。


すでに何度も書いたようにすべての人は神です。

だから個人を捨てることは故郷へ帰る事なのです。


それは「抑圧」でも「耐え忍ぶこと」でもなく

無理に「受け入れる」ことでもありません。


私はな〜んにも自慢できるようなものは

持ち合わせていませんが、ただこれだけです。

あなたも持っているものです。


私たちがシェアできるたった一つの宝物・・・

それが「神意識」です。



神意識について 終わり

・・・・・・・・・・・・・・・・・
長々とお疲れ様でした。

ここまで読んで下さった方に心から

感謝いたします。
posted by おとめ at 08:35 | Comment(0) | 神について

2018年03月08日

神意識について(18)「欲しがる心」


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おいしいものを欲しがる心は消えないんだけどね〜
(松本市・草庵SAY)



これまで書いてきましたが、要するに世の中が

なんでも金になって久しいという事ですね。


でも、これからは経済的に日本は非常に苦しい国

となるのは見え見えです。


国民がせっせと貯金をしてきたお金を使って

国家の破綻をまぬがれているような現状です。


そんな状況の中で企業は生き残りに必死で

人の苦しみなど顧みない雇用が増えています。


個人的には私から見ると今の若い人たちは

私たちの頃に比べるともっとしっかりとしていて

インターナショナルで心が広いように思います。


けれども、若い人達の中には絶望的でやけくそな

気持ちで働いている人も多いのかも知れません。


そしてそのしわ寄せで子供や老人が虐待されたり、

いじめがあったりという事にもつながります。


けれども人を不幸にするのはそうした社会的な

環境のせいでしょうか。


原因は環境ではなく、「個人」という幻想の

中心にあるのではないでしょうか。


ほとんどの人は自分は皮膚の内側にあって、それを

「体=自分」、他とは別の存在だと思っています。


そしてそれがまさに世界の中心、一番大事なもの、

何よりも愛おしく可愛いものなのです。


その分離感こそが人を孤立させ、自我をまもる

という方向へ向かわせます。


これはすべて個人の「自分」という幻想が勝ち

神意識の自分が見えなくなることで起きます。


個人の自分はなんでもほしがります。

それは自分をひたすら守る事なのです。


肩書をほしがります。お金を払って次々に

形だけの「資格」を得ようとやっきになります。


そのままで完璧なのにさらにメッキを塗って

外からの攻撃に対抗しようとします。


人に嫌われないように役割を演じます。

あるいは何か特別な存在になろうとします。


嫌われたら会社をクビになっちゃうって?

いいえそんなことはありません。


「欲しがる心」「自分を守る心」の無い所には

決して対人関係の問題は起こる事はないのです。


個人の自分という中心が無い時、一体誰が何を

守ると言うのでしょうか。


あなたは守るべき肉体や心などではなく、誰にも

絶対に傷つけられることのない大宇宙そのものです。


もし一人でも多くの人がこの事実に気づいた時

何かが起こるのではないでしょうか。


ありもしない幻想の自我をリアルにとらえて

「欲しがる心」「求める心」「頼る心」こそが

人を確実に苦しめる張本人なのですが、

別に欲しがっても何をしてもいいんです。


苦しくさえなければ・・・どんどん

欲しがって欲に生きていいのです。

私の食欲のように(笑)


でも、もし苦しかったらそれは問題です。


これはとってもフシギなことなんですけど、

我欲に生きると苦しむようになっているんです。

それはあるがままの真逆だからです。


欲を持つことが悪いのではなくて、

「現状に満足しない心」が苦しみを生むのです。

それは現在に生きない心、今を見ない心です。


そんな心がえせ宗教やカルトや金目当てのスピに

はまっていったりすることなど書いてきましたが・・・


それはもう見事なほど、人というのは苦しむと

他に救いを求めては騙される生き物なのです。


こんな状況ですが、それでも救いの道はあります。


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう少しでシリーズ終わるかも。

ずっと読んでいただきありがとうございます。

posted by おとめ at 21:08 | Comment(0) | 神について

2018年03月07日

神意識について(17)「とどまる」

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そうなんです。あなたが過去や未来を捨て

なんの恐れも無い時、つまり「からっぽ」

でいるなら神意識の状態となり、すべては

大安心のまま流れていきます。


人は常に現在から逃れようとします。

この「どこか別の場所へ動こうとする心」

「何かになろうとする心」はあなたの中の

神意識を追い出します。


クリシュナムルティはそれを「ビカミング」

(Becoming=なりゆくこと)と言いました。


こうなっては人は苦しみの泥沼へ入るだけです。

その時大事なことはどんな状況であっても

現在を見すえて「とどまる」ということです。


これは「自分」についてとことん知りぬく

ということを意味します。


それはとても大変な事ですがそれが出来た時

思いもかけないことが起こるでしょう。


それはただ自分のその心、欲しがる心やねたむ心、

自分の醜さをあるがままに見つめ、決して批判

せずにいることなのです。


ただ自分がそういう人間である、という事実を

見ます。これは開き直りとは違います。

また内省とも違います。


内省とは自分の行いや考えを批判して、

より良い自分になろうとする努力です。

それはあるがままとは全く違います。


あるがままとは気づきのレッスンでいつか

書いたような「もう一つの目」ですべてを

観ていくことです。


そこには観察者はいません。

ただ経験だけがあるのです。


つまり苦しんだり悲しんだり喜んだりする

ありのままの生の経験だけがあり、それを

ジャッジしたり、期待したり、何かを求めたり

といった「自分」が出てくる前の感覚です。


けれどもこれはどうも難しくてできない、

という人もいると思います。


そんな時はアドバイタ風になりますが、

すべてをゆだねて行くという方法もあります。


これはまた道元の「仏の家に投げ入れて」

と同じことです。


そして起こる事すべてが自分によってでなく

宇宙の大活動、つまり神意識によってのみ

起こるべくして起こるという事を受け入れます。


つまり個人の自分はいないということ、

すべての美しい感情や醜い感情を味わいながら

ただ日々起こる事に身を任せて生きて行きます。


なんにも難しいテクニックなどいりません。

ただゆだねて任せればいいんです。


お任せですから結果について何の心配も

ありません。そのままがあるだけです。

その時「欲しがる心」はなくなります。


そしてその時にこそあの説明のつかない

果てしない創造力が生まれてきます。


神社でも一万円札をお賽銭を入れれば願いが

叶うと思っている人がいます( ´艸`)


気前がいいですが〜


願うその気持ちが不幸の元だということが

わかればな〜と思います。


だからせっかく神意識が人を動かしているのに

自我がそれを捻じ曲げてしまい、人は幻想の

不幸にとりつかれてしまうのです。


そんな中でどうすれば私たちは無明から抜け出し

心やすらかに暮らすことができるのでしょうか。


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・
本日もありがとうございます。

エネルギーのままにせっせと書きます。


posted by おとめ at 12:40 | Comment(0) | 神について

2018年03月06日

神意識について(16)「カモがネギをしょってくる」

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安曇野「白鳥湖」
白鳥と一緒にいるのは「カモ」かも?



色んな宗教も含めていわゆる精神世界や、

さまざまなエネルギーワークやセッション、

ヒーリングやはやりのノンデュアリティなどの

スピ業界が時として、異様な金額を要求するのは

一体何故でしょう。


それは「需要」があるからです。

どっちもどっちなのです。


何かに「頼りたい心」「欲しがる心」は

絶好のカモになるのです(笑)


それはあるがままの「今の自分」を否定して

さらに理想的な(エゴにとっての)自分へと

変わろうとする心です。


また、高額のお金を要求する方も自分の

あるがままが本当には理解できていません。


どんなにその人が自分は幸せだと宣伝しようと、

並外れて高額な金銭を欲しがるのは、間違いなく

将来への不安からきます。


つまりそれは「葛藤」であり「苦しみ」です。

助けが必要なのはむしろそちらかも知れません。


苦しんでいる心が「先生」とか「師」と

呼ばれ、別の苦しんでいる心を「指導」する。

これは茶番劇ですね。


ヒーリングなどでも同じです。

世の中には払う金が多いほどご利益がある

と考えるフシギな人種がいるのです。


けれども人がお金をとろうととるまいと

それをとやかく言っても仕方ありません。


カモになろうとカモにしようとそれは

大宇宙の活動の一部に過ぎません。


そしてそれぞれにふさわしい結末が

待っていることでしょう。


ヒーリングが間違いなくできる人がいました。

彼はある人を病から救いましたが、(無償で)

救われた人はその後交通事故で亡くなりました。


個人の自分というものをリアルにとらえ

必死でそれを守ろうとする事が悲劇です。


どんなに人が自発的な活動をするように

はた目には見えたとしても、その底辺には

因果がさだめた結果が待っているのです。


「自分」がなければ守るものも無く

すべては宇宙の心のままうまく流れます。


↑上に書いた病気の人を治した人は実は

クリシュナムルティだったのです。


彼はやろうと思えば霊能力者としての活動も

できたでしょう。ヒーリングも頼まれれば

時々やっていたそうです。


けれども因果の前には彼の無欲の助けでさえ

勝つことはできなかったのです。


彼は大衆にメッセージを生涯送り続けましたが

けっして「HOW TO」を教えませんでした。


つまり具体的な行法とか呼吸法とか瞑想法など

一切教えなかったのです。


それを批判する人もいますが私は全くそれで

よかったのではないかと思います。


彼は何よりも「頼りたい心」、宗教や師や

いろいろな宗教的な瞑想(座禅さえも)への

執着心がもたらす弊害に気づいていました。

だから大衆が自分に頼るのを避けたのです。


なんでもそうでしょうが、特に宗教では

自分の信じる所のみを信じ、他は排除

しようとしますが、これこそがあるがまま

から最も遠い精神なのです。


ところでクリシュナムルティは生涯「寄付」で

生きていました。彼に感銘される人があまりにも

世界中に沢山いたため、寄付は莫大となりました。


それで、彼の友人や周りの人が組織を作り

金銭を管理していましたが、彼自身は全く

お金には無頓着でした。


一時財団にお金が無かったときも「大丈夫」

って言ってました。

そしてその通りになりました。


彼は「からっぽ」であれば万事がさらさらと

うまく流れていくということを、誰よりも

はっきりとわかっていたんです。



つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やわらかな春雨がやみました。

このシリーズもあるがままでいきます♪
posted by おとめ at 16:14 | Comment(0) | 神について

2018年03月04日

神意識について(15)「仕入れ代はタダ」

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シンプルな切り株の椅子があった〜



スピリチュアルの世界が今のように拝金主義に

なったのは欧米の影響が大きいと思います。


たとえば欧米の物質主義は堂々と、自分の

霊能力や悟りの代価を要求するのは「自分の

エネルギー」?への正当な報酬だとします。


お金もエネルギーだから、お金を受け取るのは

エネルギーとエネルギーの交換だ、と

もっともらしい理由をつけたりします。


それは「欧米」というより「ユダヤ」の

考え方だと思います。

ウオールストリートですね(笑)


真実をいうならば、ヒーリングや霊能力の

エネルギーは個人の持ち物ではありません。


それは「個人」が体にいない時にのみ

受け取ることができます。


そして仕入れ代はかかりません( ´艸`)


エネルギーを「個人的」なものと見ている為

ここにも分離感の悲惨さがあります。


また悟りについてもそうです。

悟りは特定の人の所有物ではありません。


全ての人が悟りの状態にあります。

ただ眠っていてそれがわからないだけです。


つまり眠っているか目が覚めているかの違い

だけで、悟っているか、悟っていないか

という問題ではないのです。


ですから「私は悟った」と言って、人に

どうやったら悟れるかを教えるとしたら

それはどこかおかしいと思います。


ただ、そうは言っても目覚めた人は周りの

まだ寝ている人達を見ると、その人たちを

たたき起こしたくてうずうずします。


何故なら自分だけが平安でいることなど

到底できないからです。


ですからその人達が「自らの力」で目覚め

元々の神意識に戻れるよう手伝ったりします。


また、更に深く目覚めた人は自分を守る事は

決してしません。

従ってお金には無頓着なはずです。


もちろん何がしかのお金をいただかなければ

人は生きて行くことはできません。


人を助けるうちに自分が飢え死にしては

元も子もありません(笑)


私はスピリチュアルでお金をもらってはいけない

と言っているのではないのです。


救われたい人を救いたいという願いはあり

でもその為には自分が食べていくために世間で

働く時間が犠牲になることもあるかと思います。


でも、もしもそこに本当の「愛」が無いなら

金額は限度を超えたものになっていくでしょう。


スピリチュアルでお金をもらってはいけない、

というのもエゴの声だし、いいや、もらって当然

というのも同じくエゴの声なのです。


ならばどうすればいいのでしょう?

それは簡単です。

そこにある「自分」がいなくなればいいのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

このシリーズどこまでいくんでしょうね。

ちょっと心配になってきました(;'∀')




posted by おとめ at 10:19 | Comment(0) | 神について

2018年03月03日

神意識について(14)「釈迦も腰抜かす」

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くーた 「だいぶあったかくなっただね〜」

ミミ  「そだね〜♪」




ここんところ投稿がとだえました(;^ω^)

いえ別にオリンピックのせいではなく

ただ単に言葉が湧いてこなかったからです。


それに世間では春になると、やれひな祭りだとか

花粉症とか確定申告だとか色々ありますのでね〜(笑)

ゆっくり座って書く時間もありませんでした。


今日またふと湧いてきましたので、ぼちぼち

書いていこうと思います。


もちろん「個人」の私が書いていることではなく

あくまでもどこからかやってきた言葉です♪


個人の私など、このちっぽけな存在が、こんな

大それたことを偉そうにかける筈がありません。


だから偉そうなのは「私」ではなくあくまでも

私にこれを書かせているわけのわからない

「存在」でありますので、その辺はどうぞ

お許しください。


時々書いたものを再読して愕然とします。

「んも、ちょ〜えらそ〜」

「一体誰がこれを書いたのだろう?」と・・・

・・・・・

・・・・・


ずっと「神意識」について書いてきました。

この神意識を「宇宙」でも「神」でも「真我」

でもお好きな名前で読んで下さい。


これがこのブログで言いたいことの要約

みたいなものですが、これからも追々

わかりやすい形でお伝えしていきますね。


つくづく思うに昔の日本は(日本だけでなく

世界中そうですが)本来禅的な生き方や

心穏やかな生き方というものが身の回りに

確かにあったのです。


それなのにそういった貴重なものはどんどん

消えていき、デカルト以来の「自我を強める」

欧米文化に戦後かなり汚染されてしまいました。


仏教ですらその影響を免れず、ご存知のように

宗教はもはや葬式や結婚式の形だけにとどまり

人を全く救えない所まできてしまっています。


なんでもビジネスです。金、金、金です。


本来精神的な世界では、たとえば昔はお坊さんに

お布施として自分の経済状態に応じた品物やお米

お金、衣類などを無理なく差し上げていました。


坊主は本来「托鉢僧」なのです。

いわば聖なる乞食です。

良寛さんはそんな一生をおくりました。


彼はお金と無縁な人が、さらに言えば自分を

守る事から無縁な人がいかに幸せかを

身をもって示した人でした。


それが今ではお布施の「相場」がある有様です。

仏陀も驚きでひっくり返っているでしょう。


そんなわけでちょっと神意識と「お金」について

考えて見たいと思います。


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもお越しいただきありがとうございます。
posted by おとめ at 16:51 | Comment(0) | 神について

2018年02月18日

神意識について(13)「神様のお人形」

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甥っ子が娘たちに作った人形。かなり傑作だと思います( ´艸`)



スポーツってあまり好きじゃないんですが

オリンピックは何とはなしに見ています。


世界中の若者が集ってエネルギーを思い切り

シェアしているのは見ていて気持ちいいです。


そんな中ふと大好きな曲がTVから・・・

ショパンのバラード第一番です。


見ると羽生結弦がスケートしてました。

彼は完全に神意識で演技していましたね。


自分を捨て切れたのだな、と思いました。


彼は怪我や震災など困難に数多く遭っており

そのため人への感謝の気持ちが自我に勝っていて

それも功を奏したかと思います。


曲が始まる直前に彼は十字を切っていました。

神に明け渡していたのでしょう。


明け渡す、とは結果を自分に課さないこと、

すべて御心のままに行われることをすべて

あるがままに受け入れることです。


わかりやすく言えば、神様の人形になる、

とでもいえばいいでしょうか。


何かが欲しい、何かになりたい!という

自我の言いなりにならず、それを捨てた時、

人は本来の神意識になり「自分」ではなく

「神」の意志によって行動します。


つまりすべて神様がやってくれるので

自分にプレッシャーがなくなるのです。

結果がどうであろうと自分の責任では

なくなるからです。


お人形といえば、羽生自体が中性的で妖精

のような感じの人ですね。


振付師も外国人のせいかフリープログラムでは

衣装や選曲も東洋的で海外受けしたのだろうな、

と思います。


TVをつければマスコミは「金メダル」と

騒ぎ立て、選手の本番前日まで押しかけて

インタビューで攻め立てます。


あ〜そっとしといてやれよ〜と思うのは

私だけでしょうか。


マスコミ全体が「欲しがる心」になり

ナショナリズムを煽っている感じがします。


そんな中で選手のプレッシャーはどんなにか

凄まじいのだろうかとぞっとします。


メダルなんてどうでもいいですが、ただ

日本はもっとメダルはとれるはずなんです。


「欲しがる心」は確実に欲しがるものを

遠ざけてしまいます。


自我にしてみれば自分は自分の自由意思ですべて

行われると錯覚しています。


そしてそれが責任感やプレッシャーにつながり、

良い結果は出ません。


しかし自我は幻想なのです。

したがって個人に自由意思はありえないのです。


すべては一つの神意識によって宇宙は活動を

つづけ、そこには因果しかありません。


あなたが欲しがろうと欲しがるまいと結果は

もうすでに決まっているのです。


ならばなぜ結果を気にしてわざわざ苦しむ

必要があるでしょうか。


「欲しがる心」に気づいた時、自我は弱まり

神の御心のまま行動することによって

ストレスは無くなり自然に物事は運ばれます。


しかし、自我から見ると神の人形になることは

そこにはまだ神と自分(自我)という微妙な

二元性があります。


けれどもこれを悟りの立場から見ると違ってきます。


すべてが神意識という宇宙の源泉(本来の自分)

それ一つしかないことを理解したならば

人はもはや人形ではなく神意識そのものとして

動けるようになるのです。


そしてそれこそが本当の自由意思なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日もお越しいただきありがとうございました。

オリンピックで寝不足になりがちですね。

posted by おとめ at 08:49 | Comment(0) | 神について

2018年02月12日

神意識について(12)「自我は暴れ馬」

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おいしいおそば食べました。(小木曾製粉所)



きのう自我が神意識の邪魔をするので、それが

苦しみの大元だということを書きました。


でも自我は幻想なだけに実体はありません。

なので殺すこともできません。


また自我がなければ私たちは自活するのも

仕事もできなくなってしまいます。


自我はそれなりに役立つこともある事は

事実です。それは神のプレゼントでも

あるのです。


自我に苦しめられないようにするには

思考(自我)の観察をすることが一つの

方法です。


思考をあるがままに見ることで次第に

自己中心性から離れていきます。


それは良い人になろうと努力することでは
決してありません。


それは湧き起る思考に注意しながらも

流れゆく出来事に全く抵抗しない事です。


それはいわゆる「浄化」ではありません。

良い行いをしようと意識したり、ボランティア

やらなきゃ、な〜んて思ったり、反省したり

後悔して自分を責めることではありません。


思考をただ見て流していくうちに、無駄な

思考は起こらなくなってきます。

つまり心が限りなく静かになるのです。


この「静けさ」こそ神意識の椅子なのです。


ここで大事なことは「思考」というのは

個人的なあなたが自ら起こしたものではない

という事です。


思考はどこからともなくただやってくるのです。

そしてあなたはあれこれ思考に基づいて行動

しますが、それはあなたの「意思」ではなく

すべて神意識が源泉なのです。


それを「自分」がやっていると思うから

自我が幅をきかせるようになります。


自我は暴れ馬のようなものです。

それは実体のないペガサスのような幻想の馬

ですが、これが実にあの手この手で人を

悩ませてきます。


手綱を話すとすぐにこの瞬間から離れ

あなたを過去や未来へ連れ去ってしまいます。


すでに書いたように過去や未来は苦しみの

ドロドロした溜め池です。


えっ?未来は希望があるんじゃないの?

っていう声が聞こえそうですね(笑)


そう考えがちですが実は違います。

その事についてはまたあとでゆっくり・・・


あきらかな事は自我を放っておくよりそれに

気づいている方が良く、それを手なずける

必要はないが、ただ見て流す、ということです。


それはクリシュナムルティの「観察」でもあり、

道元の「只管打坐」あるいはまたアドバイタでは

「観照」ともいいます。


批判することなくムチ打つことなく思考の

湧き起るまま、常に見守っていきましょう。


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日もおいでいただきありがとうございます。

ここまで一気に書いてきましたがこのへんで
少しスローダウンするかもしれません♪
posted by おとめ at 20:31 | Comment(0) | 神について

2018年02月11日

神意識について(11)「般若の智慧」

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神意識が自由に入って来られるようにする為に

心はいつもからっぽで自我が薄い状態がベスト

だという事はわかっていただけたでしょうか。


その時にはじめて人は神の叡智と共になります。

この叡智は仏教では「般若」と呼ばれます。

般若心経の般若ですね。


これが入ってくるためには自我を強める

知識や学歴などはかえって妨げになります。


高学歴の人、長年仏教を勉強した人あるいは

宇宙規模のスピ知識がある人などは知識のみに

凝り固まってしまって思考が脳の中で充満して

しまいます。


こういう人は悟りを求めながらも往々にして

悟れず悶々としているのを見かけます。


でもその悶々とするのもまた仏なんですね。

その状態を深く味わえばと思います。


なんのてらいもない、正直で素朴な心こそ

般若の知恵に好かれるんですね〜。


その良い例がかの鈴木大拙が紹介した

浅原才市という浄土真宗の信徒です。


彼は一介の下駄職人で無学無知でしたが

仕事で下駄の歯を削りながらその歯に

毛筆で浮かぶ言葉を書き続けていました。


「さいちや、どんどこ、はたらくばかり。

いまわ、あなたに、くをとられ、

はたらく みこそ、なむあみだぶつ。

らくも これ、よろこびも これ、

さとるも これ、

らくらくと、 らくこそ、らくで、

うきよを すごすよ。」


そのあるがままの純粋無垢な言葉の数々は

人の心を打ちます。


けれどそうなるためには悟ることだけが

重要なのでは無いことはすでに書きました。


悟りたい、その方法が知りたい、という思いは

ますます自我を強め、人を苦しめます。


すでに書いたようにすべての人は神意識であり

そのままで完璧なのです。


けれど、神意識の前に常に自我が仁王のように

立ちはだかっていて、自分が神意識そのものだ

という真実を隠してしまうのです。


つづく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日もありがとうございます。

posted by おとめ at 21:35 | Comment(0) | 神について

2018年02月10日

神意識について(10)「神意識は愛」

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ふとした瞬間に人は神意識として行動することが

しばしばあります。


たとえば電車にひかれそうな人を見てとっさに

線路へ飛び込んで助けた、というような事です。


あるいはひどいアルコール中毒の人が

とことん地獄を味わったとします。


「もうオレはだめだ」と人生も何もかも

すべてを完全にあきらめた瞬間、その時に

からっぽになり、自我は消えうせその分の

スペースを神意識が埋めます。


自我には決してアル中を治すことはできません。

ましてや精神科や医者、カウンセラーには

治すことは難しいでしょう。

神意識だけがアル中を治すことができます。


バイロン・ケイティという人がいます。

彼女はかつて薬中毒でした。

ある日施設の隔離部屋で目を覚まして

見性体験を得ました。


彼女は「ワーク」という独自の手法を生み出し

すべての苦しみは自分自身によって作られる

という真実を人に伝えています。


こんな風に神意識は地獄を見た人間に

ひょんなことで助けをくれたりします。


だから死別の苦しみで自分の命や幸せ

この世のすべてを放棄した時などにも

神意識はす〜っと入ってきます。


そして間違いなく救ってくれます。

私も救われた一人です。


もうどうにでもなれ!と開き直って

すべてを放棄した時にあなたの心は

神に明け渡されます。


それは個人のあなたから本来のあなたへの

移行ともいえます。


そしてあの「自分を守らない心」すなわち

神意識で常に生きて行くことができます。

何にも求めなければすべて与えられるのです。


こうなるコツは簡単です。


抵抗しないことが大きな鍵だと思います。

抵抗は葛藤を生み、それが苦しみとなります。


できるだけ悲しんで悲しんで悲しみと一体

になり、その結果「からっぽ」になることです。


何故なら神意識とは別名「愛」だからです。

それだけが真のグリーフケアをしてくれます。



つづく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもアクセスありがとうございます。

posted by おとめ at 15:18 | Comment(0) | 神について

2018年02月09日

神意識について(9)「みんな神様」

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「当処即ち蓮華国、この身即ち仏なり」

(白隠禅師)



悟らなくても神意識で生きている人がいます。


先天的にいわゆる自分を計算に入れない人です。

その善良な行動は神意識から来るので

そのエネルギーが周りの人を照らしてくれます。


生まれつきの障害で神意識の人もいます。

たとえばダウン症の子供などは「天使の病気」

と言われるくらい自我が薄いようです。


こうした人々はまさに人類の宝なのです。


宮沢賢治の「虔十公園林」という童話を

読んだことありますか?


教科書にものっているような地味なお話ですが、

ここには神意識の人がどんな感じだか

実に見事に書かれています。


すぐ読めますのでご興味ありましたら↑上の

青空文庫で是非読んでみてください。

あなたも神意識に接触できるかもしれません。


また逆にあまりにも自我の幻想にとらわれて

神意識からはるかに遠ざかってしまう人がいます。

その為犯罪などをやってしまったりします。


逆に良い事をしているように見えても、実は

神意識でなく自我で満タンな人もいます。


けれどもどんな人でも元は神様(神意識)です。

神でない人もモノも生き物もありません。


ですからどんなに血迷ったことをしてしまっても

それは自我による迷いにしか過ぎず元々私たちは

完璧なのです。(煩悩即菩提)


自分の原点である神意識で動くようになると

人は人のあるがままを認めるようになり、その人が

どんなことをしても憎むことはできないのです。


何故なら人が何か愛の無い行動をしても、それが

本当のその人でなく幻想の自我の行動に過ぎないと

はっきりわかるようになるからです。


その結果この世は天国と化すでしょう。

いえ、もともと天国なのです。


この神意識へのルートはひとによってさまざまで

悟りもその一つですが、上記のような善良な心に

接するのもその一つです。


なのでふとした拍子にあるルートを通り、自我が

横へどいて神意識だけで行動する場合もあります。

それはどんな場合でしょうか。


つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日もお読みいただき誠にありがとうございます。

posted by おとめ at 08:51 | Comment(0) | 神について

2018年02月08日

神意識について(8)「神はからっぽが好き」

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猫も悟ってるんだってば



さとりから最も遠い所にいる人とは、人間には

悟りが必要だとかたく信じている人です。

(タデウス・ゴラス)


自分は無く、ただ神意識だけがあった。

そうわかった人だけを「悟った人」

と呼びますが、それはちょっと早とちりで

間違っているんです。


なぜならみんな元々は神意識だからです。

だから本当はみんなが悟っているんです。

道端の雑草も小石も悟っています。


これを「仏性がある」といいます。

みんな仏様(神様)だというわけです。


また悟るための修行もありますが、なかなか

そうならないのは「悟りたい」という自我が

あまりにも強烈だからです。


すでに書いたように体があまりにも自我に

支配されているとエネルギーは縮こまってしまい

神意識は入って来れません。


人が悟ってしまうのは突然のアクシデントです。

たまたまです。それは自分で選べません。(笑)


私は悟る事より神意識で生きるほうがずっと

大事だと思います。


だから悟らなくても別に全く構わないのですが、

ただ、悟るとその分近道になるので

うんとラクになるというだけの話です。


本当の修行とは悟るためというのもありですが

願っても悟れませんから、自我を直接

なんとかしたほうが近道なのはあきらかです。


そのため初期の仏教やさまざまな宗教で自分を

浄化するために色々な苦行をして自我を消そうと

あらゆる事をやってきました。


けれどすでに書いたように自我は幻想で

ホログラムですから消せません。


でもホログラムだからとほうっておいては

ますます苦しくなるだけです。


かといって自我を消そうと必死になれば

自我はますます強くなるだけです。


ではどうしたらいいのかというと、「からっぽ」

になることなんです。

思考をあれこれ動かさないことです。


そのあたりの舵取りをうまく教えてくれるのが

禅やクリシュナムルティだったりします。


あるいは一般人にも教えてくれる人は

沢山いるんですよ〜


つづき

・・・・・・・・・・・・・・・・

いつもありがとうございます。
posted by おとめ at 17:17 | Comment(0) | 神について

2018年02月07日

神意識について(7)「本当の自分」

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なにかの拍子に、この体は「自分」ではないと

わかることがあります。


ここで重要な事はその時、この体という「感覚」

が消えていることです。


それは脳が自我を超えて直接宇宙に繋がり本来の

自分を思い出す瞬間です。


その時自我はありませんが、あとで戻ってきて

それを「自分の」体験とします。


それを人は仮に「悟り」と呼んでいるのです。

それだけのことです。


その時自分は本当は体ではなく思考でもなく

神意識そのものだったと気づきます。


それは別の言葉で言えばすべてが「自分」

という事です。


すべてが自分だからすべてが大切です。

自分の中に愛が溢れてくるのを感じます。


そして今までの自分の苦しみは何だったのかと

はっきりと目が覚めるのがわかります。


けれど体にくっついた記憶や経験や欲望など

自我と呼ばれる自己愛のエネルギーは

たとえ悟ったあとでも執拗に、強烈に

宇宙から体へと人を引き戻そうとします。


悟ったからそれで終わりじゃないんです。

人生はそのまま続いていきます。


自我である思考を監視するのはその為です。

座禅をしたりします。(只管打坐)

あるいは観察をします。(クリシュナムルティ)


その方が苦しまないで済むし、悟りが

深まっていくためでもあります。


本当の瞑想や座禅とは悟るためではなく

ただ悟りの中に浸る、神意識の状態でいる

ということだと私は思います。


そして最終的に悟りを手放す時がきます。

ここまで行かないと悟りは本物じゃないんですね。


また、ここで一つ大事なことがあります。

悟った人だけが特権的に神意識へとつながる

と思われがちですが全くそうではありません。


つづく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今晩もアクセスありがとうございます。

posted by おとめ at 18:59 | Comment(0) | 神について

2018年02月06日

神意識について(6)「もともとからっぽ」

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紙粘土の蝶(姪っ子作)



ホログラムを見たことがありますか?

私はあります。空中に蝶が浮かんでいました。


非常にリアルなので思わず触ろうとしますが

絶対に触れません。

それは実体のないただの映像だからです。


あなたが「自分」と呼んでいるその心と体も

このホログラムのようなものなのです。


え〜?そんなの寂しいじゃん、という人も

あるでしょうが、ちっともそんな風に思う

必要はなく、全く逆なのです。


あなたが「自分」と呼んでいるものから

学歴や知識、名前、肩書、などをすべて

はぎとったら何が残りますか?


こういったものはすべて過去の思い出と同様

「さわれない」つまり実体のないものです。


それは肉体の経験や記憶から生まれた

脳ミソの中だけにある抽象観念なのです。


「あなた」と呼ばれるものの中で唯一の実体

(つまりさわれるもの)は「体」だけ。

そうじゃありませんか?


けれどもその体もまた幻想だという事は

量子物理がとうとうバラしちゃいました。


私たちの体は素粒子という宇宙と同じ物質

でできています。

が、実際はほぼ実体はなくただの「空間」

でした〜。それもスッカスカです(笑)


また最新の量子物理の研究では宇宙そのものも

あるんだかないんだかわからないことが

ダメおしで証明されたようです。


量子物理学については興味が尽きませんが

それについて書くのは後に回すとして

私は近い将来量子物理学で言われていることと

仏教的あるいは非二元的な真理がほとんど

同じことであるというのは世界の常識に

なることは間違いないと思っています。


上記の事を仏教的にまた言い直しましょう。


体だけでなく、触れることができる「もの」は

すべてすべて刻々と変化をしつづけていて

やがては消えゆくものです。


この一瞬一瞬にもたとえば細胞は消えたり

また新しく生まれたりしています。

ですからこれだ!という常に安定している

実体ではありません。


またこの体と心でできているものは

決して独立、自立して存在していません。

すべては繋がっていてお互いになんらかの

影響をしあっているのです。


ですから独立した「自分」というものは

どこにもないのです。

いつも書いているようにすべては繋がって

一つなのです。


この事を大昔にとっくにわかっていた人が

インドのナーガルジュナ(龍樹)です。

それが「空」という思想でした。


ごく最近になって理論物理学者のハラメイン

という学者が宇宙は一つのモノからできて以来

すべてのものが繋がっている、という理論を

展開しているようです。


その真偽のほどはわかりませんが興味深いです。


ここまで「自分」と呼んでるあなたのその

心と体はまったくの幻想でしかないのだ

ということを書いてきました。


おやおや、「自分」が消えてしまいました。

それでは本当のあなたとは一体なんでしょうか?


つづく

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いつも読んでいただきありがとうございます。

posted by おとめ at 20:18 | Comment(0) | 神について